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2018年1月5日金曜日

贈り物[志村正彦LN172]

 去年の大晦日の前日、贈り物が届いた。
 雨宮弘哲君からの小包だった。(「弘哲」は「ひろあき」と読む。ここからは普段通りに「弘哲君」と記すことにしたい)彼のことは以前このブログの記事で紹介したことがある。もう二十年以上も前になるが、勤め先の高校で彼と出会った。弘哲君は高校生の頃から歌を作り、東京に行き大学に通いながら音楽活動を始めた。卒業後も仕事をしながら音楽を続けてきた。(「雨宮弘哲 ホームページ」参照)

 包みを解くと、フジファブリック『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープがあった。2001年夏頃、自主制作のデモテープとして制作された。現在は入手困難な非常に貴重なものである。驚きと嬉しさのあまり、しばらくの間そのパッケージを眺めていた。







 手紙が添えられていた。
 弘哲君は、インディーズ時代のフジファブリック(いわゆる第2期)のベーシスト加藤雄一さんとあるパスタ店で一緒に働いていた。音楽をするバイト仲間ということで親しくなり、加藤さんから『茜色の夕日/線香花火』のカセットテープをいただいたそうだ。年末の片付けの際、どこかにしまいこんだまま行方不明になっていたそのカセットをようやく見つけた。(不思議なことにその日はたまたま12月24日だった)。志村正彦について僕がブログで書いていることを知っていた彼は、この貴重なテープをわざわざ贈ってくれたというわけである。

 このテープは時々ネットオークションに出品され高価で取引されている。そういう形で入手するには抵抗があったのでこのテープを手にすることはなかった。当然、音も聴いたことはなかった。デビューのために準備されたデモテープ。『茜色の夕日』を業界に問うような意志で録音された音源は未知の存在であった。(「ロックの詩人志村正彦展」の際に出品していただいた実物を初めて手にすることができたが、その時も音は聴いていない)

 第2期フジファブリックのベース加藤雄一さんから雨宮弘哲君へ、そしてかなりの年数を経て僕のところへカセットテープが贈られてきた。こんなこともあるのだなと僕はしみじみと縁のようなものを感じた。勝手な想いではあるが、幻のテープが十数年をかけて手紙のような形である一人の聴き手という宛先に届いた。そういう心持ちになった。

 おそるおそるテープをかけてみた。年月を経たテープなので切れてしまわないかという不安もあったが大丈夫だった。しばらくするとドラムのイントロが始まり、志村正彦の声が響いてきた。想像よりもずっと若々しい声だった。21歳頃の録音だが、どちらかというと十代後半のティーンエイジャーの声のように聞こえる。青年ではあるが少年の声が入り込んでいるとでも形容できるだろうか。
 全体的にテンポが速い。アレンジも違う。富士吉田からの友人渡辺隆之さんが的確にリズムを刻む。加藤雄一さんが落ち着いたベースを奏でる。萩原彰人さんが弾くギターの旋律が豊かに広がる。田所幸子さんのキーボードの音色がのびやかで美しい。ミキシングなど録音面の課題があるが、歌も演奏も力強く、作品として充分に高い質を持っている。何よりも言葉が一つひとつ聴き手にせまってくる。

 『茜色の夕日』という作品の重要性はあらためて言うまでもない。志村正彦の原点であり、ある意味ではずっと目標でもあり続けた作品である。
 この歌は志村の個人的な経験を素材にしていると本人が語っている。2001年録音のカセットテープ版『茜色の夕日』は、その個人的経験と時間的にも心理的にもまだそう離れていない地点に歌い手がいる。その出来事の余波の渦中にまだいる中で、その経験を見つめなおし、歌う意味を問いかけている。

 (この項続く)

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