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2018年1月27日土曜日

ムジカラグー

 前回紹介したように、フジファブリック『茜色の夕日・線香花火』カセットテープでは演奏者がこう記されていた。

  Vo&G/志村 正彦
  B/加藤 雄一
  G/萩原 彰人
  Key/田所 幸子
  Dr/渡辺 隆之

 Wikipediaの「フジファブリック 略歴」の記述は次の通りである。

2001年
    8月 - 一時解散。
    9月 - 志村と渡辺に萩原彰人、加藤雄一、田所幸子を加えて再結成。デモテープ「茜色の夕日/線香花火」を録音する[18]。
2002年
    8月 - 萩原、加藤が脱退。ムジカラグー結成。
    10月21日 - インディーズ1stアルバム『アラカルト』発表。
    12月 - 田所が脱退。知人の紹介で金澤ダイスケ、加藤慎一がサポートとして参加する。

 脚注が示されているがたどることのできないものもある。この略歴については、書物や雑誌、ネットの記事などの「出典」が不明確であるのが残念である。(結成期からインディーズ時代までの初期フジファブリックの歴史について公に記録されることがあればありがたいのだが)
 このWikipediaの記述を根拠にすれば、『茜色の夕日・線香花火』カセットテープの演奏者から成るバンドは、2001年8月から9月までのおよそ一年間活動したことになる。
 ベースの加藤雄一、ギターの萩原彰人が結成したムジカラグーの音楽はどのようなものだったのか。アルバムを入手し、ネットの記事やyoutubeの映像を探してみた。

 ムジカラグーは2002年に次のメンバーがそろい結成されたようである。

  Vo&Key/松田 恵子
  B/加藤 雄一
  G/萩原 彰人
  Perc/田中 由美
  Dr/仲間 洋

 結成の経緯と音楽性についてはロフトプロジェクトの記事が参考になる。

2001年、加藤(B)と萩原(G)が出会い、数々のボーカルセッションの中、松田(Vo・Key)が加入。その後、仲間(Dr)、田中(Prc)が加入し、現編成となる。当初は60、70年代のソウル、ファンクなどの要素を取り入れた曲を中心に活動していたが、レゲエとソウルの融合的な楽曲の完成とともにワールドミュージック方面にも幅を広げ、バンド名も、ムジカ(音楽)ラグー(煮込み)とし、暑苦しくないレゲエ、踊れるラテン、景色の見える音楽、浮遊感、を合い言葉に活動中。

  今回、ミニアルバム『デイドリーム』 (2005/11/9)、アルバム『popsica』(2006/7/5)を入手して聴いてみたが、確かに「ワールドミュージック」的なテイストにもとづいた、ときにメロウでときにビート感のあるサウンドが印象的だ。ボーカルの松田恵子の声はのびやかで量感もある。加藤(B)、萩原(G)、仲間(Dr)、田中(Prc)の演奏も巧みで安定している。二枚のCDをリリース後、2007年1月に活動休止に入った。(その後一時的に演奏を再開したこともあったようだが、結局、活動を停止したようである)当時のインディーズ界ではそれなりに評価されていて、休止を惜しむ声が少なくなかったようである。

 この二作では『デイドリーム』 が好みだ。題名の通り、白昼夢を想起させる楽曲、まどろみのある声と音の感触がここちよい。ほとんどの作品を加藤雄一が作詞作曲しているので、彼がこのバンドの中心人物であろう。ネットで彼の記事を検索してみると次の発言が見つかった。(景色の見える音楽 Selector's Playlist selected by 加藤雄一

今の僕が室内音楽に求めているのは踊ることや共感する事以上に、景色が見える事が重要なんです。心理的思いのこもった音楽も素晴らしいとは思いますが、あまりに言葉が重いと疲れます。それよりも楽器の音や声や録音音質や旋律に身をまかせると何かどこかに連れてってくれる音楽が聴いていたいなと思います。その音楽をかけると部屋の風景まで変わるような音楽を聴いていたいです。

 なるほど、と思わせる発言だ。「何かどこかに連れてってくれる音楽」「部屋の風景まで変わるような音楽」とは、ムジカラグーが追い求めた音楽でもある。「あまりに言葉が重いと疲れます」というのは正直な実感だろう。ムジカラグーの歌詞は細やかに情感のある風景を描写するのではなく、枠組や背景としての風景を提示している。あくまでも楽曲を中心に景色を描こうとしている。
 彼らの映像がyoutubeに一つあった。『popsica』収録の『さんふらわぁ』(作詞作曲:加藤雄一)のMVだ。歌詞も引用しよう。
 愉快な曲調、軽快なグルーブにのせて、色彩感のある風景がひろがっていく。




 雲の切れ間に 少しのぞいた
 君は青空 曇りのち晴れ

 空はほら 黄金色
 飛行機雲 消える前に

 太陽は行方知らずでも 花は咲いてるよ
 それなら僕らの 心を照らして


前々回の記事を読んでくれた雨宮弘哲君のメールによれば、加藤雄一さんは今も音楽活動を続けているそうである。

2018年1月15日月曜日

『茜色の夕日・線香花火』カセットテープ [志村正彦LN173]

 フジファブリック『茜色の夕日・線香花火』カセットテープのジャケット裏は歌詞カードとなっている。写真の解像度が低いので分からないだろうが、「無責任でいいな ラララ」の部分だけ手書きで記されているのが目を引く。この言葉は多様に読むことができることを考えあわせると、手書きには作者志村正彦のある種の意図があるのかもしれない。



 右下には演奏者のクレジットも記載されている。重要な情報なので転記したい。

  全作詞作曲/志村 正彦
  編曲/フジファブリック
  Vo&G/志村 正彦
  B/加藤 雄一
  G/萩原 彰人
  Key/田所 幸子
  Dr/渡辺 隆之

 「全作詞作曲」とあるのは二曲共にという意味だろうが、この「全」という修飾語には志村の自恃も読みとれる。この下に「Info」として当時の携帯電話のメールアドレスと番号が印刷されている。デモテープという目的から連絡先を入れたのだろうが、活字で印刷されているのは少し驚いてしまう。(写真ではこの部分をカセットテープで隠した)

 写真から分かるように、歌詞カードの黒地と白い文字、カセットテープのタイトル部分のオレンジ色のコントラストが鮮やかだ。「オレンジ色」と書いたが、やはりこの色は「茜色」と呼ぶべきだろう。ジャケットの表側のイラストにも、少し黒みがかった赤色の球のようなものが描かれている。これも茜色の夕日をイメージしたものかもしれない。さらに「線香花火」の火球のイメージも重なるかもしれない。




 「茜色の夕日」が沈むと薄暗い空が闇の黒色へと変化していく。「見えないこともない」「東京の空の星」が広がることもある。「線香花火」の火球と火花、その色合いと光。「短い夏が終わったのに/今 子供の頃のさびしさが無い」(『茜色の夕日』)、「悲しくったってさ 悲しくったってさ/夏は簡単には終わらないのさ」(『線香花火』)。二つの歌は夏の終わりの季節の感覚が色濃く出ている。志村の歌には夏の季節の夕空や夜空の描写も多い。そしてそこには茜色や赤色と黒色の綴れ織りのような色彩感もある。初期の愉快な曲『TAIFU』(詞曲:志村正彦)でも「虹色 赤色 黒色 白!/虹色 赤色 黒色 白!/虹色 赤色 黒色 白!/皆染まっているかのよう!」と連呼されていた。

 『茜色の夕日・線香花火』カセットテープのイラスト画からイメージや色彩の連想や連鎖が起きる。志村正彦・フジファブリックの音楽そのものも色彩感が豊かである。

   (この項続く)

2018年1月5日金曜日

贈り物[志村正彦LN172]

 去年の大晦日の前日、贈り物が届いた。
 雨宮弘哲君からの小包だった。(「弘哲」は「ひろあき」と読む。ここからは普段通りに「弘哲君」と記すことにしたい)彼のことは以前このブログの記事で紹介したことがある。もう二十年以上も前になるが、勤め先の高校で彼と出会った。弘哲君は高校生の頃から歌を作り、東京に行き大学に通いながら音楽活動を始めた。卒業後も仕事をしながら音楽を続けてきた。(「雨宮弘哲 ホームページ」参照)

 包みを解くと、フジファブリック『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープがあった。2001年夏頃、自主制作のデモテープとして制作された。現在は入手困難な非常に貴重なものである。驚きと嬉しさのあまり、しばらくの間そのパッケージを眺めていた。







 手紙が添えられていた。
 弘哲君は、インディーズ時代のフジファブリック(いわゆる第2期)のベーシスト加藤雄一さんとあるパスタ店で一緒に働いていた。音楽をするバイト仲間ということで親しくなり、加藤さんから『茜色の夕日/線香花火』のカセットテープをいただいたそうだ。年末の片付けの際、どこかにしまいこんだまま行方不明になっていたそのカセットをようやく見つけた。(不思議なことにその日はたまたま12月24日だった)。志村正彦について僕がブログで書いていることを知っていた彼は、この貴重なテープをわざわざ贈ってくれたというわけである。

 このテープは時々ネットオークションに出品され高価で取引されている。そういう形で入手するには抵抗があったのでこのテープを手にすることはなかった。当然、音も聴いたことはなかった。デビューのために準備されたデモテープ。『茜色の夕日』を業界に問うような意志で録音された音源は未知の存在であった。(「ロックの詩人志村正彦展」の際に出品していただいた実物を初めて手にすることができたが、その時も音は聴いていない)

 第2期フジファブリックのベース加藤雄一さんから雨宮弘哲君へ、そしてかなりの年数を経て僕のところへカセットテープが贈られてきた。こんなこともあるのだなと僕はしみじみと縁のようなものを感じた。勝手な想いではあるが、幻のテープが十数年をかけて手紙のような形である一人の聴き手という宛先に届いた。そういう心持ちになった。

 おそるおそるテープをかけてみた。年月を経たテープなので切れてしまわないかという不安もあったが大丈夫だった。しばらくするとドラムのイントロが始まり、志村正彦の声が響いてきた。想像よりもずっと若々しい声だった。21歳頃の録音だが、どちらかというと十代後半のティーンエイジャーの声のように聞こえる。青年ではあるが少年の声が入り込んでいるとでも形容できるだろうか。
 全体的にテンポが速い。アレンジも違う。富士吉田からの友人渡辺隆之さんが的確にリズムを刻む。加藤雄一さんが落ち着いたベースを奏でる。萩原彰人さんが弾くギターの旋律が豊かに広がる。田所幸子さんのキーボードの音色がのびやかで美しい。ミキシングなど録音面の課題があるが、歌も演奏も力強く、作品として充分に高い質を持っている。何よりも言葉が一つひとつ聴き手にせまってくる。

 『茜色の夕日』という作品の重要性はあらためて言うまでもない。志村正彦の原点であり、ある意味ではずっと目標でもあり続けた作品である。
 この歌は志村の個人的な経験を素材にしていると本人が語っている。2001年録音のカセットテープ版『茜色の夕日』は、その個人的経験と時間的にも心理的にもまだそう離れていない地点に歌い手がいる。その出来事の余波の渦中にまだいる中で、その経験を見つめなおし、歌う意味を問いかけている。

 (この項続く)