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2017年12月31日日曜日

時代の断裂[志村正彦LN171]

 2012年12月にこのブログを始めてから5年経ち、ページビューも19万を超えた。思いつくままに不定期で書いてきたにもかかわらず、拙文を読んでいただいた方々にはとても有難い気持ちになる。
 毎年大晦日に振り返りのようなものを載せてきた。今年はもう2017年。すでに2010年代も後半に入っている。今日はこの時代についても書いてみたい。

 12月23日のSPARTA LOCALS、Analogfishのライブは、音楽そして言葉の力のあふれるものだった。志村正彦・フジファブリックと同時期にデビューしたこの三つのバンドは、オールタナティブ系という括りを超えて、2000年代を代表する日本語ロックのバンドだろう。
 この三つのバンドのデビュー時のマネージャーが語り合っているLOFTの記事「3バンドマネージャー対談 〜明日のロックを担うのは、俺たちでしょうが!(金八風)〜」がある。発掘からデビューまでの経緯が具体的に言及されていて興味深い。

 SPARTA LOCALSは福岡で、Analogfishは長野で、短い期間ではあるがライブ活動をした後に上京しデビューした。それに対して、志村正彦・フジファブリックは高校卒業後すぐに上京して音楽活動に備えていた。この点が違いといえば違いだろう。富士吉田には活動できるライブハウスなどの場がほとんどなかった。山梨の方が東京に近い(富士吉田から東京までは車で1時間半ほどの距離)という地理的な条件もあった。志村正彦は迷わずに東京へ出ていったのだろう。三つのバンド共に2000年前後に上京し、2002年から2003年にかけてインディーズデビューを果たす。デビューアルバム・ミニアルバムの発表時期を記しておこう。

 2002年 4月  SPARTA LOCALS 『悲しい耳鳴り』
 2002年10月   フジファブリック 『アラカルト』
 2003年 6月    Analogfish 『世界は幻』

 この三つのバンドは同時期にデビューしたライバルとして互いを意識していただろう。作風も演奏も異なるが、日本語ロックの最先端を担う者たち同士として、孤高の道を歩みながら慣れ合うことなく交流していったようだ。2005年11月、合同企画「GO FOR THE SUN」イベントはその象徴である。ないものねだりだが、このライブのフル映像を見たいものだ。CSで放送されたそうだが、権利上の問題からDVD化は不可能なのだろうが。

 11月末まで仕事がとても忙しく、ブログの更新もおろそかになった。12月に入り少し余裕が出てきたので、SPARTA LOCALSとAnalogfishの初期作品から現在までのアルバムを繰り返し聴いてみた。(SPARTA LOCALSの場合、HINTO、堕落モーションFOLK2という流れで)
 彼らの音楽の中心にあるものは全く変わっていない。変わらないということを変えないで持続してきた表現者の刻印がいたるところにある。これだけでも驚くべきことなのだが、それ以上に驚嘆すべきなのは、この二つのバンドの言葉と楽曲がつねに深いところへ進み続けているということだ。変わらないままに進み続けている。変わりながら進むことは可能でも、変わらないままに原点を持続して、進化、深化していくのは極めて難しい。

 SPARTA LOCALSは2009年に解散した。Analogfishは2008年に斉藤州一郎の休養があったが幸いに2009年に復帰した。この時実質的にはバンドとして再出発したのではないかと思われる。
    前々回触れたが、2009年のSPARTA LOCALS解散時に志村正彦が『スパルタが解散したら、ロックシーンはどうなるんだ』と安部コウセイにせまった。
 2009年12月24日、志村正彦は亡くなった。「志村正彦のフジファブリック」は永遠に失われてしまった。「COUNTDOWN JAPAN 09/10」の12月28日のステージで、Analogfishの下岡晃は「ちょっと話したいんだけど」と、スパルタローカルズの解散、フジファブリックの志村の急逝という、仲間との別れへの悲しみを口にして、「俺たちは誠実に旅を続けようと思う」と『Life goes on』を演奏したそうである。(クイックレポート COUNTDOWN JAPAN 09/10 高橋美穂)
 2009年、ゼロ年代の終わり近くに、SPARTA LOCALS、Analogfish、フジファブリックは各々、解散、再始動、終焉を迎えた。

 事実の羅列になってしまうが、SPARTA LOCALSの後継、HINTO/堕落モーションFOLK2とAnalogfishの2010年代のこれまでの展開を振り返りたい。
 2010年、HINTOは活動を始め、2012年6月『She See Sea』、2014年7月『NERVOUS PARTY』、2016年9月『WC』、堕落モーションFOLK2は2012年5月『私音楽-2012春-』、2015年5月『私音楽-2015帰郷-』をリリースした。
 2011年3月の東日本大震災、福島原発事故。その現実に向かい合うようにして、Analogfishは「社会派三部作」といわれるアルバム、2011年9月『荒野 / On the Wild Side』、2013年3月『NEWCLEAR』、2014年10月『最近のぼくら』をリリース。2015年9月『Almost A Rainbow』発表。彼らのアルバムやライブについてはこのブログで何度も取り上げてきた。彼らが誠実に真摯に旅を続けてきたことは間違いない。

 SPARTA LOCALS/HINTO/堕落モーションFOLK2、Analogfish。共に、2000年代と2010年代との間に断絶、というよりも痛みを伴った断裂がある。バンド自体の活動が十年に達し、メンバーの年齢も二十歳代から三十歳代に入る。メジャーからインディーズへと拠点が変わる。各々の固有の問題もある。それと共に、2011年の震災・原発事故という社会的歴史的な断裂が決定的な影響を与えたように思われる。

 日本でも欧米でも、三十歳の壁を越えて優れた作品を作り出すロック音楽家は少ない。(質を保ち続けたとしても寡作になる)自己模倣とファンの囲い込みと業界の法則の中で、軽い石のようにころころと転がり続けるしかないという現実がある。「ロック」という音楽そのものの「壁」かもしれないなどと訳知り顔で言いたくなるが、HINTO・堕落モーションFOLK2やAnalogfishはその「壁」を壊し続けている。少なくとも「壁」に挑み続けている。

 「志村正彦のフジファブリック」が2010年代の音楽を創り上げることができたとしたら、どんなものになっていたのだろうか。音楽的な想像力が乏しい筆者には何も想い描けないのだが、2017年の終わりの日にそんなことをふと思ってしまった。
 


 

2017年12月27日水曜日

SPARTA LOCALS『ウララ』(12/23 渋谷WWW X)

  前回に続き、「SPARTA LOCALS presents『TWO BEAT』:SPARTA LOCALS / Analogfish」(渋谷WWW X)について書きたい。
 
 そもそも「SPARTA LOCALS」というバンドを知ったのは、『美代子阿佐ヶ谷気分』(監督・坪田義史)という映画を通じてだった。公開は2009年。その翌年wowowで放送された際に見た。この作品は安部コウセイ・光弘の父母、安部愼一・美代子を描いた原作の漫画を映像化したもの。70年代初頭の阿佐ヶ谷を舞台に、漫画家の愼一と恋人の美代子の日々の光と影を描いた優れた映画だった。最後の方で時間は現在に変わり、安部愼一本人が登場する。主題歌はSPARTA LOCALS『水のようだ』。タイトルバックで彼らの演奏も映し出される。

 それからしばらくして、志村正彦・フジファブリックとの関係を知り、音源や映像をたどるようになった。
 始めてSPARTA LOCALSを聴いたときに二つのギターの音の絡み方やハイトーンのボイスに、ある種の懐かしさのようなものを感じた。英米のパンク、ニューウェイブ系のバンドに似ているサウンドがあった。どのバンドか、すぐには思いつかない。ネットで記事を探すと、安部コウセイがTelevisionからの影響を語っていた。なるほど、Tom Verlaine率いるTelevisionか。確かに似ている。僕はTelevisionをリアルタイムで聴いている世代だ。70年代ニューヨークのパンク・ニューウェイブの代表、Patti Smith、Talking Headsと共に、Televisionの『Marquee Moon』(1977年)、『Adventure』(1978年)は学生時代の愛聴盤だった。LPジャケットの写真も秀逸で「それらしさ」を醸し出していた。

 SPARTA LOCALSの特徴あるギターサウンドに乗って繰り広げられる歌の言葉には、どこにも帰属できない単独者の憂いや叫びがあった。持て余したような悲しみや怒りの陰影があった。それらと矛盾するようで矛盾しない、ほんわりしたユーモアもあった。そのようにしてかなり練り上げられた歌詞がサウンドと違和感なく融合している。ニューヨークパンクに起源のあるサウンドに優れた日本語歌詞が的確に乗っている。それは驚きであり新鮮な経験でもあった。「日本語パンク」(あえてそう位置づけよう)の伝統の中でもSPARTA LOCALSは独創的な位置を占めている。 2009年の解散時に志村正彦が「スパルタが解散したら、ロックシーンはどうなるんだ」と言ったのは、その言葉通りのきわめて正当な評価だろう。

 安部はSPARTA LOCALS再結成について言及した記事で、「HINTOもあって、堕落もあったから、スパルタを俯瞰で観れるようになった」と語っている。2017年の現在、彼らはHINTO、堕落モーションFOLK2、SPARTA LOCALSという三つのバンドで活動している。このトライアングルの存在自体が現在の音楽シーンできわめて貴重だ。その姿勢は真摯であり、自由であり愉快ですらある。

 今回のライブを前にあらためて7枚のアルバムを繰り返し聴いた。最も好きなのは3rdアルバム『SUN SUN SUN』冒頭曲の『ウララ』だ。冬が終わり春うららの季節を迎える「君」と「僕」の物語。「小さい雨」「なずなの群れ」に見られる季節感は福岡県田川の出身ということもあるのだろう。「ふるさとは今日も晴れてるらしいね/友だちの顔が少しよぎったんだ」にも、地方から上京した都市生活者の想いが自然に滲み出る。ほんのりした笑いもある。そして何よりも「忘れちまった事も忘れた 忘れちまった事も忘れた」には、阿部コウセイでしか伝えられない世界がある。

 12月23日の渋谷WWW X。Analogfishのステージが終わり、セッティング時間の後にドラムス中山昭仁のかけ声でSPARTA LOCALSのライブが始まった。伊東真一のギターも安部光広のベースも、あたりまえのことだが、HINTOとは異なる。ホールの音響特性もあり、音の塊感が尋常でない。容赦なくこちらにぶつかってくる。これがスパルタの音かと感慨が走る。でも解散前のことは分からない。これはやはり「2017年のSPARTA LOCALS」の音なのだろう。

 アンコール2曲目、最後の歌は『ウララ』だった。単純にうれしかった。少しやわらかな表情で歌うコウセイ。会場からの「カモン!カモン!カモン!」のやりとり。とてもいい雰囲気だった。
 この歌には、HINTOや堕落モーションFOLK2につながるエッセンスもある。歌詞の全編を引用してこの回を閉じたい。


 ウララ (作詞:阿部コウセイ 作曲:SPARTA LOCALS)


誰かの原チャリまたがって 君は笑う (カモン!カモン!カモン!)
日光とっても やさしいぜ 僕も笑う (カモン!カモン!カモン!)
 何かどーでもいい 理屈や不安に
 ちょっと溺れていた 冬は終わったんだ

ふんだりけったりされたって 僕は唄う (カモン!カモン!カモン!)
ハッタリ元気ふりしぼって 君はおどる (カモン!カモン!カモン!)
 全部わかるふりしなくてもいいかい?
 本当はいつでも こんがらがってんだ

生きてる事とかに緊張したって しょうがねーや
退屈すぎるけど それも嫌だって思わん

  小さい雨 なずなの群れを 濡らしている (カモン!カモン!カモン!)
  青すぎる空気吸い込んで 鼻が出たよ (カモン!カモン!カモン!)

 ふるさとは今日も晴れてるらしいね
 友だちの顔が少しよぎったんだ

世界のイカサマに落ち込んだって しょうがねーや
まじめな事とかは明日話そうか、温いから

  忘れちまった事も忘れた 忘れちまった事も忘れた
  忘れちまった事も忘れた 忘れちまった事も忘れた

 君はウララ 僕もウララさ

2017年12月24日日曜日

Analogfish『There She Goes (La La La)』(12/23 渋谷WWW X)

  昨夜、渋谷WWW Xで「SPARTA LOCALS presents『TWO BEAT』出演:SPARTA LOCALS / Analogfish」を見て帰ってきた。甲府駅に着く頃には日付が変わろうとしていた。底冷えのする街を歩きながら、二つのバンドの残響が頭に回り続ける中で、12月24日を迎えた。

 SPARTA LOCALSは2009年9月に解散した。その際に志村正彦が安部コウセイに伝えた言葉が、『FAB BOOK』(角川マガジンズ 2010/06)「Special Interview for Fujifabric」に掲載されている。安部はこう述べている。


 「そういえば、スパルタローカルズが解散するっていう時に、すっごい志村に怒られたんですよね。電話がかかってきたんですよ。うわ、志村だ、あいつ絶対怒ってると思ってシカトしてたら、メールがきて。『てめえ、なんで電話にでねえんだ』って、キャラクター変わってる勢いのメールで。『スパルタが解散したら、ロックシーンはどうなるんだ』みたいな内容でした。別に、どうにもなんねえよって返しましたけど。でも、びっくりした。そんなに怒られるとは思ってなかったから。解散ライブには、フジファブリックみんなが来てくれたんですけど、すげえ睨まれた、志村から。ホント、子供みたいなやつですよね」


 志村にそこまで言わせたSPARTA LOCALSの存在。生で聴くことは永遠にないと思っていたが、昨年、「復活」した。ライブに行く機会を探していたところ、Analogfishとの組み合せで12月23日にあることを知った。クリスマスイブの前夜、渋谷は大変な混雑だろう。どうしようかかなり迷った。Analogfishは甲府の桜座でここ4年ずっと聴いてきた。彼らがライブの回数を減らしたせいか、今年、桜座での公演はなかった。年に一度は彼らの音の波動に浸りたい。SPARTA LOCALSとAnalogfishはフジファブリックの同世代バンドとして、志村が高く評価していた。2005年11月、この三つのバンドの合同企画「GO FOR THE SUN」イベントもあった。この機会を逃したら、この二バンドの組み合せを経験することは当分ないだろう。そう考え決心した。

 予想以上に渋谷は大変な賑わい。昨年のHINTOライブの時はハロウィンの最中だったがそれ以上の人出。華やぐ街を五十代後半男性が一人歩く場違い感がすごい。会場は満員。三十代後半から四十代前半の男性も少なくなかったので、少し落ち着けた。

 7時を過ぎてAnalogfishからスタート。この日はギターの浜本亮(Ryo Hamamoto)を入れての4人編成。桜座でのmooolsとの混成バンドで、浜本のギターを加えたAnalogfishを聴いたことがあるが、最初からは初めて。音に厚みがあり多彩だ。桜座では音が綺麗で垂直に立ち上がるが、WWWXでは音が重厚で水平に広がっていく。フロアで踊る若者にはこの感触の方が好まれるだろう。僕の好みは桜座だが。
 新曲もまじえて馴染みの曲が続く。佐々木健太郎は髪を後ろに束ねて別人のようだったが、力強く伸びる声は彼ならではの個性だ。下岡晃は「クソみたいな気持ちに対抗する」ために歌っているとMCで述べた。彼の歌詞はいつも時代に抗っている。この日は特に『There She Goes (La La La)』が素晴らしかった。祝祭感あふれるグルーブを斉藤州一郎のドラムが支えている。

 この曲のMVが粋だ。色彩のある街は渋谷だろうが、始まりと終わりそして時折、砂浜の白黒の映像が浮かび上がる。「砕けた夢のかけら」が舞い上がるかのように。 公式映像と歌詞の後半を引用したい。こんなラブソングはAnalogfishにしか創れないだろう。
    (この項続く)




『There She Goes (La La La)』(作詞:下岡晃 作曲:アナログフィッシュ)


  長い長すぎる夜を
  駆け抜ける方法は

  君が残していった香りを
  辿るだけでいいのさ

  Where are you going?
  わからない

  What do you believe in?
  何もない

  Where are you going?
  わからない

  What do you believe in?
  君だけさ Yeah

  La La La

  彼女が道を行けば
  砕けた夢のかけらが
  もう一度舞い上がる

  La La La

2017年12月17日日曜日

不安にゆれる心象-『蜃気楼』8[志村正彦LN170]

 久しぶりに志村正彦・フジファブリックの『蜃気楼』に戻りたい。

 連載第7回で紹介した芥川龍之介『蜃気楼―或は「続海のほとり」―』という小説の中で、蜃気楼はどのように描写されているのだろうか。
 作品前半の登場人物「僕等」三人、「僕」芥川と「O君」親友小穴隆一と「大学生のK君」は、ある秋の昼、蜃気楼を見るために鵠沼海岸に出かける。


 蜃気楼の見える場所は彼等から一町ほど隔っていた。僕等はいずれも腹這いになり、陽炎の立った砂浜を川越しに透かして眺めたりした。砂浜の上には青いものが一すじ、リボンほどの幅にゆらめいていた。それはどうしても海の色が陽炎に映っているらしかった。が、その外には砂浜にある船の影も何も見えなかった。
「あれを蜃気楼と云うんですかね?」
 K君は顋を砂だらけにしたなり、失望したようにこう言っていた。そこへどこからか鴉が一羽、二三町隔った砂浜の上を、藍色にゆらめいたものの上をかすめ、更に又向うへ舞い下った。と同時に鴉の影はその陽炎の帯の上へちらりと逆まに映って行った。
「これでもきょうは上等の部だな。」
 僕等はO君の言葉と一しょに砂の上から立ち上った。


 腹這いになった「僕等」が見たのは、「陽炎の立った砂浜」の上に「青いものが一すじ、リボンほどの幅にゆらめいていた」光景だった。それは「海の色が陽炎に映っているらしかった」と推測されている。また、どこからか一羽現れた「鴉の影はその陽炎の帯の上へちらりと逆まに映って行った」光景も目撃される。「K君」は失望し、「O君」はこれでも上等だと言う。この日「僕等」が見たのは「蜃気楼」というよりも、「陽炎」の中に映る像や影のようだと「僕」は解析している。あくまで自然現象として考察する「僕」のありかたを記憶すべきだろう。

 作品後半では、夜の七時頃に「僕」と「O君」と「妻」の三人(「K君」は帰京した)が鵠沼海岸に再び出かける。第7回で引用した「鈴の音」の場面に続いて、「僕」はある夢を語る。


 僕はO君にゆうべの夢を話した。それは或文化住宅の前にトラック自動車の運転手と話をしている夢だった。僕はその夢の中にも確かにこの運転手には会ったことがあると思っていた。が、どこで会ったものかは目の醒めた後もわからなかった。
「それがふと思い出して見ると、三四年前にたった一度談話筆記に来た婦人記者なんだがね。」
「じゃ女の運転手だったの?」
「いや、勿論男なんだよ。顔だけは唯その人になっているんだ。やっぱり一度見たものは頭のどこかに残っているのかな。」
「そうだろうなあ。顔でも印象の強いやつは、………」
「けれども僕はその人の顔に興味も何もなかったんだがね。それだけに反って気味が悪いんだ。何だか意識の閾の外にもいろんなものがあるような気がして、………」
「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるようなものだな。」


 芥川はある小品で、かなり唐突な形ではあるが、「フロイト」という固有名詞へ言及したことがある。「フロイト」は精神分析の創始者、ジグムント・フロイトのことであろう。芥川がフロイトの英訳本を読んでいた可能性はあると思われるが、少なくとも、大正時代から紹介され始めたフロイト理論を知っていたことは間違いない。(日本近代文学館と山梨県立文学館の芥川蔵書コレクションにはフロイトの著作はない。ただし、二館のコレクションは蔵書のすべてではないので、実証的には判断できない。)
 この場面で「僕」が述べている「意識の閾の外」にある「いろんなもの」とは、精神分析的な枠組から捉えると、「夢」の中の「無意識」の表象であろう。実際に、晩年の芥川作品には夢や無意識のモチーフが頻繁に登場する。

 『蜃気楼―或は「続海のほとり」―』では、「鈴の音」の錯覚や「意識の閾の外」にある夢の世界という捉え方の範囲でとどまっている。ある種のバランスがあり、作者芥川もそのことに自信を持っていた。「話」らしい話のない小説の具現とも考えていた。構想したのはおそらく大正15年末だろう。しかし翌年の昭和2年になると、芥川の人生に転機が訪れたこともあり、作風にも大きな変化が生じた。「錯覚」にとどまらない「幻覚」や「幻聴」をモチーフとする『歯車』や、夢と無意識の世界に深く下降していく『夢』(題名そのものが夢である未定稿小説)などを遺している。

 『歯車』の主人公「僕」は、見えてくる形や聞こえてくる音を、そこにはありえないもの、不気味なものや恐ろしいもの、「死」を連想させるものに変換してしまう。『夢』の主人公「わたし」は、作中の現実と「夢の中の出来事」が混然一体となるような不可思議な経験をする。もちろん小説表現の中の出来事であり、作者芥川自身の経験とは分けねばならない。小説とその作者は基本として分離すべきである。しかし、『歯車』や『夢』のリアリティがどこからもたらされたのかは、きわめて重要な問いでありつづける。

 志村正彦作詞の『蜃気楼』と芥川龍之介『蜃気楼―或は「続海のほとり」―』の間に、直接的で具体的な関係はおそらくないであろう。(志村が「蜃気楼」という言葉を芥川経由で頭に刻んだ可能性はあるかもしれないが)それでも、「蜃気楼」という言葉が、主体の不安にゆれる心象の現れであることの類似性は興味深い。 

  (この項続く)

2017年12月10日日曜日

「すごい才能の塊でしたよ」奥田民生 [志村正彦LN169]

 昨夜12月9日の23:00-24:00、スカパー!のチャンネル「フジテレビNEXT」で「TOKYO SESSION 第七夜」という音楽番組が放送された。
 出演は、奥田民生、斉藤和義、山内総一郎の三人。Vocal, Guitar, Bass, Drumsと曲ごとにパートを変えながらセッションし、セレクトカヴァー&セルフカヴァーを演奏した。舞台は「Bar Monsieur」というライブバー。オーナーはムッシュかまやつ、旅に出ているという設定だった。店長のKenKen、バーテンダーのシシド・カフカが進行役だ。
 この回のセットリストを載せよう。


「はいからはくち」 はっぴいえんど
「スローなブギにしてくれ(I want you)」 南佳孝
「「3」はキライ!」 カリキュラマシーン
「若者のすべて」 フジファブリック
「ずっと好きだった」 斉藤和義
「イージュー★ライダー」 奥田民生
「やつらの足音のバラード」 かまやつひろし


 はっぴいえんど「はいからはくち」は、Vocal・Guitar山内、Bass斉藤、Drums奥田という編成。日本語ロックの名曲というか問題作をこの三人が演奏するのは興味深かった。山内総一郎は数曲でBassを弾いたが、その慣れない姿を含めて珍しいものだった。

 注目の「若者のすべて」は、Vocal・Guitar山内、Bass奥田、Drums斉藤で演奏された。奥田民生はバックコーラスも担当し、「若者のすべて」カバーの歴史の中でも特筆すべき映像となった。その一部が「第七夜SPOT」として公式webにある。




 演奏前に、奥田民生が志村正彦について語った言葉を書き写したい。


いやーやっぱりなんか、とにかくその、個性っていうんですかまあ代わりのいない感じというか。強烈に持っていましたから。曲にしても、声にしても。すごい才能の塊でしたよ。うん


 志村正彦が亡くなった後、奥田が志村について述べた言葉はほとんどないのではないだろうか。特に放送メディアでは。その意味で非常に貴重なものとなった。発言時、奥田が遣る瀬無いような表情をしていたことも記しておきたい。12/16(土) 18:40~19:40に再放送予定だから、視聴可能な方はご覧になることをすすめたい。

 特に、奥田が「声」に言及していることが個人的にはとても納得した。志村の「声」はまさしく代わりのない特別なものだから。そして何よりも、「すごい才能の塊でしたよ」という言葉が、奥田民生の志村正彦に対する想いのすべてを語っている。