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2017年10月22日日曜日

「この素晴らしき世界に僕は踊らされている」-『蜃気楼』6[志村正彦LN166] 

 一月ぶりに志村正彦・フジファブリックの『蜃気楼』に戻りたい。
 『スクラップ・ヘブン』のエンディング・バージョン(映画の時間の「1:53:22」から「1:56:32」まで3分10秒ほど流れる)の歌詞をあらためて引用する。オリジナル音源の全8連から第2,3,4,5連を削除した残りの第1,6,7,8連で構成されている。


1  三叉路でウララ 右往左往
   果てなく続く摩天楼

6  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
   消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

7  おぼろげに見える彼方まで
   鮮やかな花を咲かせよう

8  蜃気楼… 蜃気楼…


 オリジナル音源の第2,3,4,5連は、「月を眺めている」「降り注ぐ雨」「新たな息吹上げるもの」という自然の風景や景物を描いた上で、「この素晴らしき世界」の「おぼろげに見える彼方」に「鮮やかな花」を出現させて、作者志村正彦が映画から感じとった「希望」を象徴的を表現しているが、映画版ではそのような系列が削除されてしまった。 その代わりに、第6連にある「世界」というモチーフが前景に現れている。このモチーフは、『スクラップ・ヘブン』の物語の中心を成す「世界を一瞬で消す」から発想されたものだろう。「世界」の消滅への欲望をめぐって、シンゴ、テツ、サキの三人が絡まり合う。特にラストシーンのシンゴにとって、「世界」は「消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる」という実感を伴って迫ってくるものだったろう。

 ただし、『プラスアクト』2005年vol.06(株式会社ワニブックス)で、志村が「霞がかかった何もない所で、映画の主人公なのか僕なのかわからないですけれどウロウロしてる時に、色んな人が来たり、色んな風景が通り過ぎて”どうしよう”という感じ」と述べているように、この「世界」に対する捉え方は作者の志村自身の経験も反映されているのではないだろうか。
 志村正彦の歌詞の中で「世界」が登場する作品を挙げてみる。


  どこかに行くなら カメラを持って まだ見ぬ世界の片隅へ飛び込め!
    『Sunny Morning』

  Oh 世界の景色はバラ色 この真っ赤な花束あげよう
    『唇のソレ』

  小さな船でも大いに結構! めくるめく世界で必死になって踊ろう
     『地平線を越えて』

  遠く彼方へ 鳴らしてみたい 響け!世界が揺れる! 
     『虹』

  世界の約束を知って それなりになって また戻って
    『若者のすべて』

  世界は僕を待ってる 「WE WILL ROCK YOU」もきっとね 歌える
    『ロマネ』

  これから待ってる世界 僕の胸は踊らされる
    『夜明けのBEAT』

  煌めく世界は僕らを 待っているから行くんだ  
    『Hello』

  羽ばたいて見える世界を 思い描いているよ 幾重にも 幾重にも
    『蒼い鳥』


 いくつかの重なり合うモチーフがあるが、『蜃気楼』の「この素晴らしき世界に僕は踊らされている」と関連が強いのは、『地平線を越えて』の「めくるめく世界で必死になって踊ろう」であろう。「蜃気楼」と「地平線」という舞台の類似性もある。世界で踊る、世界に踊らされているという「踊る」という身体の運動は、志村正彦の「世界」に対するイメージの結び方を表している。「踊る」は自動詞だが、「踊らされる」は「踊らす」という他動詞の受動形である。何ものかに操られてその思いどおりにさせられる、という意味がある。歌詞を文字通りに受け止めれば、その何ものかは「この素晴らしき世界」になる。幾分かアイロニカルなニュアンスで「素晴らしき」という形容がされているのか、そのままの素直な意味合いなのかは分からない。「世界」に対する視線が肯定的なのか否定的なのかも判然としない。だが、いずれにせよ、「消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる」の「踊り」には、「世界」の中で存在するしかない私たちの動き、そのあり方が象徴されている。

 (この項続く)


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