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2017年8月26日土曜日

水の都、島の都―ストックホルム4[志村正彦LN161]

 わずか一泊二日間だがストックホルムに滞在できる。志村正彦・フジファブリックのファンであれば、彼らの足跡を訪ねてみたいと思うだろう。

 フジファブリックの4thアルバム『CHRONICLE』を収録したスタジオはMonogram Recordings(モノグラムレコーディング)のものだが、webを見てみると、現在は制作会社としては活動していないようだ。スタジオやその機材も売却してしまったようだ。スタジオ以外ではフジファブリックのメンバー・スタッフの滞在したホテルくらいしか足跡をたどれる場所はない。どこにあるのだろうか。手がかりを探してみた。

 『CHRONICLE』にはDVDが付いていて、『ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記』と題する二つのドキュメンタリーが収録されている。「25日間に渡る初の海外レコーディングドキュメント」の中に、滞在していたホテル入口の看板が映るシーンがある。その名を手がかりにグーグルマップで検索すると、ここではないかというホテルが見つかった。

 ストリンドベリ記念館を訪れた後にそのホテルを訪ねていったのだが、記憶の中にあるドキュメンタリー映像の風景とどこか違う。それでも一応ホテルや界隈の写真を撮ってきた。その時の様子をこのブログに書いているときに、再度、撮影した写真とドキュメンタリーの映像を比べてみた。やはり違う。もう一度該当ホテルの名をネットで検索すると、今は閉鎖されてしまったあるホテルの存在に気づいた。映像とグーグルマップのストリートビューの写真を確認すると、このホテルが彼らが滞在していたところらしい。すでに閉鎖されていて、別の名のホテルになっているようだ。そのために検索の上位に出てこなかった。もう一つの似た名前のホテルの方だと思い込んでしまったのだ。自分のうかつさにへこんだ。

 しまったいう落胆の後、もう一度マップを見た。周辺のエリアを拡大してみた。すると、500メートルほど先に僕たちが宿泊していたホテルがあった。偶然だった。わざわざ出かけなくても、ホテル近くの大通りを南西の方へ歩いていけばよかったのだった。十分もかからなっただろう。帰国してからこのことに気づいた。何たることか。でも、近くに泊まっていた偶然に感謝すべきかもしれないと思い直した。この界隈の雰囲気を知ることはできたのだからと。

 このエリアはガムラ・スタンの南に広がるセーデルマルム島(Södermalm)の中心地域にある。僕たちのホテルはこの地域の入口にあたるスルッセンにあった。ドロットニングホルム宮殿からホテルへ向かう途中、バスは大通りを進んでいった。あの日は「Stockholm Pride」というLGBTのパレードがあり、レインボーフラッグを持つ人々がたくさん歩いていた。この大通りをビデオで撮っていたことを思い出した。再生すると一瞬ではあるが、フジファブリックが宿泊していたホテルも映っていた。翌日もセーデルマルム島で有名な展望スポットのある丘への行き帰りにこの界隈を通っていた。

 このセーデルマルム島の地域はアート・ギャラリーや洒落たショップやカフェが並び、近年人気が出てきたエリアのようだ。ガムラスタンやストックホルム中心街の眺めが素晴らしい丘も有名だ。その丘からは、観光船が行き交い、連絡船やクルーズ船が停泊する「水の都」としての景色も堪能できる。ドキュメンタリー映像を見返すとスルッセンにある展望台から撮影した風景をはじめこの地域で撮影された映像がいくつもあった。
 もっとも、志村正彦はあるインタビューで「ホテルとスタジオの行き来以外ではあんまり出歩いてないんです」と述べているので、彼があまりストックホルムを歩いていないことは確かなのだが。

 今回の記事の最後に、ストックホルムで撮影した写真の中からセーデルマルム島に関わりのあるをアルバム風に添付してみたい。


 一日目の夜十時近くにスルッセンにあるホテル近くからガムラスタンを眺めたもの。白夜ではあるが、そろそろ日が暮れていく時間だった。スルッセンはセーデルマルム島の入り口にある。




  二日目の昼、グランドホテル近くの観光船乗り場に行った。一週間続く「Stockholm Pride」イベントのレインボーフラッグが公共施設やホテルをはじめ商店やレストラン、街路や路地の至る所にあった。僕らが載った観光船にも飾られていた。街全体が「自由」と「尊厳」の一週間を祝福していた。




 僕たちが乗った観光船。向こう側の景色は右側がガラムスタン、中央がセーデルマルム島。この船はユールゴーデン島(Djurgården)を1時間ほどで周遊してきた。




 船が出発してしばらくすると、向こう側にセーデルマルム島がよく見えた。「VIKING LINE」のクルーズ船が停泊していた。中央やや右に見える高い塔はカタリーナ教会の塔。この島の中央部は小高い丘になっている。



 航海中の「VIKING LINE」の 「Cinderella」(シンデレラ)号。 ストックホルムからエストニアのタリン、フィンランド領の小さな島マリエハムン間などのバルト海を運航するそうだ。



 観光船が到着する直前に見えた橋。ストックホルムの中心だけでも十四の島があり、たくさんの橋が掛けられている。



 ストックホルムは「水の都」、北欧のベネチアと言われているそうだが、むしろ「島の都」と呼んだ方がいいかもしれない。
 「島」にはそれぞれの歴史や個性があり、それが集まってストックホルムという大都市を形成している。

 志村正彦は、『CHRONICLE』に関するインタビュー(文:久保田泰平)で次のように述べていた。

 日本で録音するのも効率的でいいんですけど、海外のほうがより音楽に集中できるし、ストックホルムっていう街は治安もよくてリラックスできたし、向こうの空気を吸って、向こうの人たちと出会って、音楽を聴いて、それに触発されて「ストックホルム」っていう曲が出来上がったりとか、そういう化学反応みたいなのも起きたから、海外でやってよかったですね。

 滞在していたのは2009年1月から2月にかけての真冬の季節だった。夏とは全く異なる風景の感触や色合いだっただろう。


  静かな街角
  辺りは真っ白

  雪が積もる 街で今日も
  君の事を想う
             (『Stockholm』詞曲:志村正彦)

 このように歌われる『Stockholm』を聴くと、彼にとってこの街は「雪の街」「氷の街」であったようだ。『CHRONICLE』付属DVDの映像にも、雪でおおわれた街路やスルッセン西側のメーラレン湖の結氷が映されている。
 短い夏と厳しい冬の街、夏の湖の水と冬の雪景色ということになると、わずかかもしれないが、ストックホルムの季節の感覚は志村の故郷富士吉田を想起させる。


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