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2017年7月9日日曜日

音の連鎖と反復-『蜃気楼』1 [志村正彦LN159] 

 初めてフジファブリック『蜃気楼』(詞・曲:志村正彦)を聴いたときの戸惑いと驚き。かなり前の事だが、記憶をたどりなおして書いてみたい。
 ギターとピアノが奏でる静謐で不穏なイントロの後、志村正彦のどちらかというと無表情な声が立ち上がってきた。

  サンサローデウララー ウオーサオー

 この言葉というより音の連なりが聞こえてきた時に、何を意味しているのか掴めなかった。続く「ハテナクツヅク マテンロー」。こちらの方は「果て(し)なく」「続く」と区切れそうだ。そうなると「マテンロー」は「摩天楼」か。そうであれば、さかのぼると「ウオーサオー」は「右往左往」になるのかもしれない。

 歌詞カードを参照してみた。こう書かれてあった。


  三叉路でウララ 右往左往
  果てなく続く摩天楼


 「サンサロー」は「三叉路」。文字を読むことでやっと了解できた。「三叉路」「右往左往」「果てなく続く」「摩天楼」という意味がつながり、ぼんやりとではあるが、ある風景が浮かび上がってきた。


  喉はカラカラ ほんとは
  月を眺めていると


 第1連の「ウララ」に呼応する「カラカラ」。作者の志村正彦は音の繰り返しにこだわっているようだ。ここでは彼がよく描く「月」が登場している。
 音だけで追いかけていくことを断念して、歌詞カードを見ながら聴くことにした。

 第3連から最後まではこのように展開していく。


  この素晴らしき世界に降り注ぐ雨が止み
  新たな息吹上げるものたちが顔を出している

  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう

  蜃気楼… 蜃気楼…

  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
  消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう

  蜃気楼… 蜃気楼…


 全体を通してみると、「サンサロー」「マテンロー」「シンキロー」という単語末尾の音韻の反復と連鎖が耳に刻まれていく。視覚化すると、「三叉路」「摩天楼」「蜃気楼」という三つの風景が目に浮かんでくる。人工的な風景や不可思議な風景。それに対比されるように、「月」「雨」「花」という自然の風景も現れる。この三つは志村正彦の詩的世界に不可欠の景物だ。
 特に「おぼろげに見える彼方まで/鮮やかな花を咲かせよう」という一節の中で「花」が取り上げられていることには感慨を覚えた。

 題名であり歌詞のエンディングの言葉でもある「蜃気楼」。辞書によると、「熱気・冷気による光の異常な屈折のため、空中や地平線近くに遠方の風物などが見えたり、実像の下に虚像が反転して見えたりする現象」だ。現象としての「蜃気楼」を目撃したことはないが、芥川龍之介の短編『蜃気楼』のモチーフとなっていることで、この言葉には親しんできた。芥川の晩年の心象風景を象徴する言葉がこの「蜃気楼」である。

 「蜃気楼」という歌声の背景には、ピアノとギターの不協和音、即興演奏のような展開があった。「不穏」と「不安」を象徴するかのような演奏が、この作品が映画のテーマ曲として制作されたことを想起させた。歌の言葉も曲の展開も、映画作品との対話の中でほんとうの意味を明らかにしていくのだろう。そのような予想がもたらされた。

 『蜃気楼』は李相日監督の映画『スクラップ・ヘブン』のエンディングテーマとして録音された。音源は2005年9月7日発売の6枚目のシングル『茜色の夕日』のB面としてリリース。映画は2005年10月8日に封切。ほぼ同時期の公開となった。
 七年ほど前、この歌を聴いた後で『スクラップ・ヘブン』のDVDを見たのだが、予想をはるかに超え、『蜃気楼』はエンディングテーマとして傑出していた。

 次回以降、李相日『スクラップ・ヘブン』や芥川龍之介『蜃気楼』に言及しながら、志村正彦・フジファブリックの『蜃気楼』についての試論を書いていきたい。「右往左往」することになろうが、この歌を追いかけていくことにしよう。

  (この項続く)

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