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2016年4月28日木曜日

ボブ・ディランと岡林信康

 一昨日26日、渋谷オーチャードホールでボブ・ディラン。昨日27日、甲府桜座で岡林信康。二日間連続で日米のフォーク、フォークロックの原点の存在のライブに行ってきた。連続となったのは偶然なのだが、色々な意味でこの二人の現在を聞き比べることができた。

 僕がディランに最も親しんだのは、70年代中頃の作品、1974年『プラネット・ウェイヴズ』1975年『血の轍』、1976年『欲望』の時代だ。1983年の『インフィデル』あたりまでは一作ごとに追いかけたが、その後は遠ざかっていった。だから、少なくとも70年代のディラン・ファンだとしても、本来の意味でのディラン・ファンではないのだろう。

 26日、勤めを少し早く終え、4時に甲府を出発。6時半に渋谷に到着。オーチャードホールの座席は2階席の奥ほぼ中央、かなり遠くからディランを見下ろすような位置だった。観客はほぼ満員。やはり60歳代くらいの方が多い。勤め帰りのサラリーマンも目立つ。
 ディランの登場。スーツ姿にハットを被る。立ち姿はもうすぐ75歳になる年齢とは思えない位、率直に格好いい。だが、ステージで歩き出すとひょこひょことした何とも言えない歩きになる。年齢相応、つまり「おじいさん」の歩き方だ(ちょっと可愛くもあるのだが)。そんなことも超然として、あのしゃがれ声で力強く歌う。時にハーモニカやピアノも奏で、音楽を存分に楽しんでいる。
 心を動かされたのは、やはり『ブルーにこんがらがって』。70年代のあの頃、最も良く聴いていた歌の一つだからだ。でもパフォーマンス自体にはあまり満足できなかった。もとから期待してはいないのだが、さびしい、残念な気持ちが残る。
 最近のディランのことはほとんど知らないので、雑駁な印象を記すが、この日の彼はアメリカ音楽の伝統を一身にまとう「シンガー」だった。
 2部構成、長めの休憩を挟んで2時間ほどのコンサートが終わり、甲府に帰ると12時を過ぎていた。さすがに疲れた。

 岡林信康についても、僕は1977年リリースの『ラブソングス』で出会った「遅れてきた世代」の一人だ。やはり70年代の後半となる。その後は時々消息を聞くくらいで、遠い存在だった。

 27日、勤め帰りに桜座に。近いことは有り難い。この日は150人ほど詰めかけ、満員。年齢は60歳代後半が中心、70歳代前半と思しき方も少なくない。今年70歳を迎える岡林の同世代のファンが集ったことになる。それにいつもと違い、県内の方が多いようだ。これはうれしかった。岡林が甲府に来たのは30年ぶりのことらしい。
 初期の歌から最新作まで、軽妙でユーモアのある語りをまじえ進んでいく。岡林の方も2部構成、休憩を挟む2時間のステージだった。
 一番心に響いたのは『26ばんめの秋』。季節の風景に対するまなざしと心の内側への問いかけが自然にとけあう。歌の純度の高さにあらためて気づくことができた。
 また、歌は聴き手のものだということを話題を変えながら繰り返し語っていたことが印象深かった。この発言については回を改めて書いてみたい。

 ディランは20世紀のアメリカ音楽の厚い伝統に守られている。その言葉も英米文学やユダヤ・キリスト教の言葉の伝統に支えられている。それは事実であり、それ以上でもそれ以下でもない現実なのだろうが、正直に言うと、そのことに違和というか疎隔されるような感覚も持った。孤高の単独者というより、伝統のそれもかなり自由な(これが彼らしいが)体現者としてのボブ・ディラン。自分自身に対する固定的な捉え方、その枠組みからたえず抜け出そうとしてきた彼の軌跡の到着点なのだろうか。

 岡林にはディランが身にまとう重厚な音楽の伝統はない。あるのだとしても、この国のフォークやロックの未だに豊かとは言えない伝統というか蓄積だけだ。そのことは僕たち聴き手も共有している。
 それでも、岡林信康の歌から、そのたぐいまれな純度が持続していることが伝わってきた。それは小さなものにすぎなく、厚みがないものかもしれないが、彼の歌のいくつかに純粋な力を感じとることができた。

 ボブ・ディランと岡林信康。偶然、二日続いて二人を聴いた。数の規模は違えど、熱心なファンに恵まれ、幸せな歌い手だ。彼らの歌についてあらためていつか書いてみたい。

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