2015年7月3日金曜日

志村正彦がつなげた偶然-浜野サトル5

 昨日、浜野智氏のサイト「毎日黄昏」(http://onedaywalk.sakura.ne.jp/one/index.html)の7月2日の記事にこう書かれてあった。前回で一休止し再び歩み始めたいと記したが、思いがけない出来事が起こったので、今回はこのことについて「5」として書きたい。現在の氏は「智」と署名されているので、この文では「サトル」ではなく「智」と記させていただく。

 志村正彦というシンガーについてちょっと調べたいことがあって「偶景web」というサイトにたどり着いたときはびっくりした。なぜかといえば、ここには意外にも僕の古い文章についてのあれこれが盛りだくさんに載っていたからだ。

 浜野氏が志村正彦について調べ、この「偶景web」にたどり着く。インターネット特有の遭遇に驚くと共に素直に喜んだ。志村正彦が媒介した「縁」のようなものをとても大切にしたい。

  念のために申し添えると、当然のことではあるが、私は浜野智氏とは一面識もなかった。私は一読者という立場で、彼の著書や、断続的ではあるが、ネットで発表された文を愛読してきた。このwebを始めてからずっと、いつか氏の批評について書きたいと考えていた。私にとって音楽を語る原点として氏の言葉をたどりなおしたかった。二年経ち、ようやくその端緒につくことができた。

 「偶景web」の拙い試みはともかくとして、氏が「志村正彦」を調べているという事実そのものに感激する。理由や経緯は分からないが、志村正彦について関心を持つ。私だけでなく、志村正彦の多くの聴き手にとっても、この出来事は重要なものとなるかもしれない。

 《「偶景web」サイトを見ていて、いろいろなことを思い出した。》と述べられていたが、その契機となったのであれば、今回の試みも意味を持つ。
  「終りなき終り」についての早川義夫の発言、『ボブ・ディラン論集』の件など、一つひとつの挿話が興味深い。早川は浜野に何を語ったのだろうか。70年代初頭、あの渋谷BYGのレコード係として、浜野氏は「はっぴいえんど」や「風都市」の志した日本語ロックの現場近くにいた。
 そして、《「バイオグラフィー=線」ではなく、「一瞬の沸騰=点」をめぐって書きたいと思っていた》という平凡社新書『ボブ・ディラン』の企画。氏にとって第三の批評書、最新のディラン論となるはずのこの書物は、やはり、幻の本になってしまうのだろうか。

 私は何よりも浜野智氏の文体に魅了された。
 「エッジの効いたリズム」のような鋭い硬質な論理、その背後に響くやわらかい感受性の音調。「論理」と「音調」の融合した文体は、「批評」の内部に「歌」(その歌は「歌われない歌」であるのだが)を響かせている。

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