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2014年11月29日土曜日

声-フジファブリック武道館LIVE 1 [志村正彦LN96] 

  昨夜、11月28日、フジファブリックの武道館ライヴを聴いて帰ってきた。

 オープニング曲の『リバース』が時を遡らせるかのように響く。
サウンドに合わせて、巨大スクリーンには影絵のような少女のアニメ。その切りとられた影から、志村正彦の顔が浮かび上がってくる。

 うっすらと紗がかかる表情。声は聞こえない。彼がそこに像としてはいるのだが、やはり、ここにはいない。それでも、日比谷、渋谷、両国、そして富士吉田、彼が歌い、弾く姿が「残像」のように次々と映し出されると、こみ上げてくるものがあった。しばらくすると、山内総一郎の歌う映像に切りかわり、10周年を集約した映像が閉じられた。

 最初に歌い出された曲は『桜の季節』。もしかするとという予感があったのだが、その通りになった。山内が歌うのは初めてのはずだが、さらに、エンディングに近いリフレインでは、加藤慎一、金澤ダイスケがボーカルパートを交替する。『桜の季節』がこの三人で歌われたことに心を動かされた。

 十曲ほど演奏された後、志村君と一緒にという山内の言葉。志村の茶色のハットがマイクスタンドにかけられる。とうとう、『茜色の夕日』が歌われるのだなと、一瞬、身構えたのだが、武道館に響きわたったのは、志村正彦自身の声だった。これは全く予期していなかった。不意打ちのような驚きと共に、涙がひたすら溢れてきた。

 『茜色の夕日』のライブは、ここにはいない彼の音源とここにいるメンバーの生演奏が合成されるという、ありえない経験をもたらしたのだが、違和感は全くなかった。きわめて自然に、あの巨大な空間を彼の声の波動が包み込んでいた。不思議なのだが、確かに、志村正彦、フジファブリックの『茜色の夕日』を聴いたという記憶が、今、残っている。

 どのように言葉にしたらよいのだろうか。言葉にする必要などないのだろうが、このLNの連載は言葉を自らに課している。
 会場を去る時、前方やや上に、三日月より少し大きくなった月が見えてきた。武道館の『茜色の夕日』はあることを告げていた。あたりまえかもしれないが、ひとつの単純な真実であることを。

 彼は無くなってしまった。
 だがしかし、そうであるがゆえに、よりいっそう、彼は《声》そのものになった。

 《声》という純粋な存在になった。

 聴くという行為が続く限り、いつまでも、彼の《声》は今ここに現れてくる。

2014年11月24日月曜日

歩行-『赤黄色の金木犀』と『若者のすべて』-[志村正彦LN95]

 
 寒さが厳しくなり、甲府盆地の北側の山々の紅葉も終わりに近づいている。それほど高い山ではないので鮮やかではないが、その分おだやかな「赤色と黄色」の風景が続いている。
 ここ数年、相対的に暑い季節と、相対的に寒い季節という、暑さ寒さの感覚からすると、「二つの季節」に変化しているようにも感じる。夏と冬という季節が際立ち、その狭間に春と秋という季節が佇む、そんな印象なのだが、風景には、やはり、春、夏、秋、冬という「四つの季節」が色濃く反映されているようだ。秋の色彩は、金木犀の花の「赤黄色」で始まり、山々の樹木の「赤色と黄色」で終わろうとしている。

 歌われる世界において、歌の主体をどのように動かすのか。作者の好む型があるが、志村正彦の場合、歌の主体は歩行することが多い。
  『赤黄色の金木犀』では、第2ブロックの「僕は残りの月にする事を/決めて歩くスピードを上げた」が「行動の型」の土台をなすだろう。「何故か無駄に胸が/騒いでしまう帰り道」とあるように、この歩行は「帰り道」にあり、「いつの間にか地面に映った/影が伸びて解らなくなった」とあるように「地面」の「影」を見つめる視線もある。歌の主体「僕」は、「歩くスピード」を上げて、「地面」の「影」と共に、「帰り道」を歩行している。

 「僕」は「過ぎ去りしあなた」を想起しながら歩いている。この「あなた」は、もしかすると、純然たる他者ではなく、自己自身、「僕」の影が投影されているのかもしれない。「過ぎ去りしあなた」には「過ぎ去りし僕」が不可分に結びついている。だから、この歩行は時間をさかのぼる行為でもあるのだ。

 志村正彦の歌には、「歩く」「僕」、《歩行》する主体がよく現れる。それは歌の中の現実の場面であったり、過去の回想シーンの中の出来事であったりする。


 茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
 晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと     『茜色の夕日』


 歌いながら歩こう 人の気配は無い
 止めてくれる人などいるはずも無いだろう          『浮雲』
 

 すりむいたまま 僕はそっと歩き出して             『若者のすべて』


  『茜色の夕日』の主体は、「日曜日の朝」「誰もいない道 歩いたこと」を想い出している。『浮雲』では、「歌いながら歩こう」とする主体がいる。『浮雲』は「いつもの丘」、彼の実家近くの眺めのいい「丘」が舞台となり、高校時代の経験を元に作られた歌だ。また、『茜色の夕日』の「歩いたこと」の回想も、彼の故郷での出来事のような気がしてならない。この二つの歌が彼の初期作品であることも関係している。

 7月に開催された「ロックの詩人 志村正彦展」では、志村正彦の母妙子さんによる『上京の頃』と題したパネルが展示された。「自炊のために料理を習ったり、家の中や近くの道、富士吉田の街や自然を慈しむように眺めていたりした姿」という、母親でしか捉えられない視点からの大切な証言である。(「ロックの詩人 志村正彦展」web「ご両親・ご友人・恩師の言葉」(http://msforexh.blogspot.jp/2014/07/blog-post_26.html

 志村正彦は、散歩することが好きで、故郷の街や丘をよく歩いていたようだ。特に上京前には、富士吉田の風景を記憶に刻みつけるように歩いていたに違いない。それは、その時点の眼前の風景であると共に、すでにその時点では過去となり回想となった出来事の風景も含まれていた。そのような彼の経験が、『茜色の夕日』、『浮雲』、そして『赤黄色の金木犀』には映し出されているのだろう。少年期から青年期にかけての、その時代にしか持ち得ない「孤独」の影のようなものが滲み出ている。

 これらの初期の作品に比べて、『若者のすべて』の「歩き出して」からはむしろ、都市の街中を歩き出そうとする主体の決意のようなものが伝わってくる。一連の『若者のすべて』論で、《歩行》の系列という枠組を《縦糸》にして、《花火》の系列、「最後の花火」を中心とするモチーフを《横糸》にして、『若者のすべて』の物語は織り込まれている、と書いた。

 彼は『音楽と人』2007年12月号で、「一番言いたいことは最後の〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに」と述べている。この時期の彼にとって、歌詞のモチーフという以上に、彼自身の人生において、「歩き出す」ことの意味が重要となっていいる。

 《歩行》というモチーフは彼が初期から追い続けてきたものだが、そのモチーフの歩みの到達点が『若者のすべて』だ。両国国技館ライブのMC「BGMとか鳴らしながら、歩きながら、感傷にひたるってのがトクじゃないかな、って思って。だから言ってしまえば、止まってるより、歩きながら悩んで」と作者が語っているように、歌の主体は、「歩きながら」、「感傷」や「悩み」との対話を試みる。そして、歌の主体は心のスクリーンに、「僕」と「僕ら」の物語を上映していく。

 作者志村正彦はある種の成熟を経験したのだろう。そのことによって、歌の主体の《歩行》もある種の自由と自在さを手に入れた。それは『若者のすべて』の楽曲にも影響を与えている。ピアノを中心とするリズムはのびやかでゆったりとした雰囲気をもたらしている。聴き手にある種の「解き放たれた」感覚を与えるというか、あるいは、ある種の「眠り」へと導くような効果もあるかもしれない。切なくやるせないが、同時に、ここちよく漂うような感覚とも言えよう。

 それに対して、『赤黄色の金木犀』のリズムは終わりに向けて次第に早くなる。歌詞の言葉も、メロディもリズムも、歌詞の一節に「歩くスピードを上げた」「何故か無駄に胸が騒いでしまう」とあるように、その速度を上げていく。ミュージックビデオの志村正彦の眼差しも、次第に何かに追い立てられるように見えてしまう。アウトロになると、その進行は押さえられ、ひとまずの安らぎを覚えるのだが。

 『若者のすべて』と『赤黄色の金木犀』の言葉とリズムの違いは、モチーフとなっている《歩行》の律動の差異から起きているのだろう。《歩行》についてのさらなる考察は、他の楽曲を含めて、別の機会に設けたい。

2014年11月10日月曜日

「現在」の歌-CD『フジファブリック』9 [志村正彦LN94]

 十年前の今日、2004年11月10日にメジャーデビューCD『フジファブリック』が発表された。昨年のこの日からこのアルバムについてのノートを断続的に掲載してきたが、今回で完結させたい。

 今夜は早めに帰宅。CD『フジファブリック』をプレーヤーに入れて、音量をある程度まで上げて、スピーカーで何度か聴く。冬が近づき、部屋も冷たく乾いている。空気が澄み渡り、いつもより志村正彦の声が透き通るように響いてくる。

 このシリーズの7[LN87]で書いたように、このアルバムには、ある地点からある地点へと移動するという意味の動詞が多い。
 例えば「行く」だけを列挙しても、「桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?」(『桜の季節』)、「放送のやってないラジオを切ったら すぐさま行け」(『TAIFU』)、「駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう」(『陽炎』)、かばんの中は無限に広がって/何処にでも行ける そんな気がしていた」(『花』)、「今夜 荷物まとめて あなたを連れて行こう」(『サボテンレコード』)とある。
 70年代前半のブリティッシュロックの音、レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイドなどを時折想起させるビートに乗せて、何処かに行くという欲望や衝動が繰り返し歌われている。
 

 しかし、シリーズの8[LN88]で、『夜汽車』に触れて、「歌の主体も『あなた』も何処にも行けない。何処にも還ることはできない。帰郷が果たされることはない」と記したように、歌の主体は、結局、何処に行くことも還ることもできない。このモチーフは、CD『フジファブリック』全体を貫いている。
   『夜汽車』のエンディングは、ずっと回り続けるアナログレコードのターンテーブルのように、終わることのない、行きつくことのない旋律を奏でている。この終わり方の感覚が1stCD『フジファブリック』に独特の余韻をもたらしている。

 リピート再生のキーを押す。『夜汽車』が終わり、『桜の季節』が再び始まると、次のシークエンス、『桜の季節』の抽象的な世界の中で具体的に「別れ」を描く場面が気になってくる。

   坂の下 手を振り 別れを告げる
   車は消えて行く
   そして追いかけていく

   諦め立ち尽くす

 「車は消えて行く」、歌の主体が「追いかけていく」。対象は消えて「行く」、主体は追いかけて「いく」。しかし、結局、主体は「諦め立ち尽くす」。むしろ、あらかじめ「諦め」ているかのように、「立ち尽くす」。この「立ち尽くす」あるいは「立ち止まる」という光景は、志村正彦の初期作品によく見られる光景だ。CD『フジファブリック』中の『陽炎』や『赤黄色の金木犀』にもそのバリエーションがある。

 ある詩集の中のある詩の一つの言葉が、その詩を超えて、詩集全体に響きあうということがある。そのような意味で、『桜の季節』の「諦め立ち尽くす」という言葉はアルバム全体につながっているようにも思われる。何処に行くこともできない、結局、其処にとどまるしかないという主体のあり方が反復されている。

 作者志村正彦は、おそらく、何処に行くことも還ることもできないことをあらかじめ知っていた。「諦め立ち尽くす」と歌われているように、《諦め》や《断念》が先行していた。つねにすでに、其処にとどまること、立ち尽くし、立ち止まり、佇立することを身に纏っていた。
 あるいはそれに抗うように、時には再び、何処かにたどりつくことへの《欲望》や《衝動》を歌った。その反作用のようにして、何処へ行くことも還ることもできない《不安》に強く支配されるようになった。そのような痕跡が彼の作品には滲み出ている。

 1stアルバムでの金澤ダイスケ、加藤慎一、山内総一郎、足立房文の演奏は、志村の声を力強く、時に繊細に支えている。特に、この1stと2ndのドラムを敲く足立のリズム感は、志村の歌詞の持つ日本語のリズムとよく調和している。片寄明人のプロデュースを始めとするレコーディングスタッフも充実し、志村正彦は「プロフェッショナル」な音楽家として追い求めてきた言葉と楽曲の水準、演奏と制作の方法を獲得したと言えるだろう。

 『桜の季節』『陽炎』『赤黄色の金木犀』、四季盤の春夏秋の楽曲が卓越した価値を持つのは言うまでもないが、『TAIFU』『追ってけ追ってけ』『サボテンレコード』の新奇でしかもどこか懐かしい感覚、『打上げ花火』『TOKYO MIDNIGHT』の《夜》と《黒色》の奇妙な祝祭の風景など、多様性という言葉では括れないほどの広がりと深みがある。特に『花』と『夜汽車』は、誰もが使う分かりやすい言葉を使いながら、志村正彦でしか創造しえない世界を築いているという点で、傑出した作品だ。

 『花』には「花のように儚くて色褪せてゆく」という一節があるが、このアルバムは「儚い」世界を描きながら、決して「色褪せてゆく」ことのない命を持つ。
 十年という時の経過どころか、数十年、百年というような時を超えても、日本語の歌の聴き手にとって、1stアルバム『フジファブリック』の言葉と音楽は尽きることのない命脈を保つ。

 私たちが、例えば中原中也の詩を、近代詩という歴史的な文脈を離れて、「現在」の詩として読めるように、未来の聴き手や読み手も、志村正彦・フジファブリックの作品を、その時点の「現在」の歌として受けとめることができるだろう。

2014年11月2日日曜日

佐々木昭一郎のアーカイブス放送

 佐々木昭一郎という孤高の映像作家をご存じだろうか。
 彼はNHKに勤め、60年代後半から90年代前半にかけて、極めて優れたラジオドラマやテレビドラマを創り上げた。今年、二十年近くの沈黙を破り、初劇映画作品『ミンヨン 倍音の法則』を制作した。現在、東京の岩波ホールで上映中だ。

 「僕の作品は全部夢から生まれています」(佐々木昭一郎『創るということ(増補新版)』[青土社])とあるように、彼の作品は、通常のドラマや映画の物語の文法から遠く離れ、「了解できない夢」のように構造化されている。また、「音」や「音楽」も単なる効果や背景を超えて重要な働きをしている。だから、彼の作品は本質的に「映像=音楽作品」とでも名づけられるべきものだ。「佐々木昭一郎という作品」と呼ぶしかないような独自性を持つ。

 彼の作品はDVD等のパッケージでは商品化されていない。NHKアーカイブス あるいはスカパー!等で、十年に一度くらいの割合で再放送されるときに鑑賞するしか方法はない。(私もリアルタイムではほとんど見たことがなく、80年代後半に再放送されたときに代表作を見て、衝撃を受けた)
 このたび、初映画完成に関連して、NHK BSプレミアムで下記作品が放送されることになった。明日3日から始まる。そのことを「情報」としてここに記したい。

【アーカイブス放送 スケジュール】
 11月3日(月・祝)9:00〜|
   「四季・ユートピアノ」(再放送:11日 [火] 24:45〜)
 11月4日(火)9:00〜
   「マザー」(再放送:12日 [水] 24:45〜)
 11月5日(水)9:00〜
   「さすらい」(再放送:13日 [木] 24:45〜)
 11月6日(木)9:00〜
   「夢の島少女」(再放送:14日 [金] 午前25:00〜)
 11月7日(金)9:00〜
   「川の流れはバイオリンの音」(再放送:15日 [土] 2:15〜)


11月9日(日)16:00〜17:29
  「伝説の映像作家 佐々木昭一郎 創造の現場」
      (『ミンヨン倍音の法則』に5年間密着した記録)
 

 特に、ロックやフォーク音楽の聴き手にとっては、1971年制作の『さすらい』は必見だ。若き日の遠藤賢司と友川かずきが出演している。(エンケンは日比谷野音で「カレーライス」を弾き語りしている) 70年代前半という時代の風景と、「さすらう」感受性が、類い希な映像と音楽によって、記録というか記憶されている。
 私はその当時十代前半で、出演者よりも十歳ほど若い世代に属しているが、あの時代の記憶はとても懐かしく、自分自身の感受性の原点となっている。

 彼の作品を未見の人に、そして、あの時代を直接知らない若い世代に、ぜひ「佐々木昭一郎という作品」と遭遇していただきたい。