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2014年1月19日日曜日

志村正彦の音楽遺産 (志村正彦LN 69)

  LN68で、志村正彦が彼が遺した作品が「音楽遺産」として、今、新たな聴き手を獲得していると書いた。このことに関連して、『佐久間正英からの提言(後編) ~これからの音楽家の活動 音楽産業のあり方~』[http://mutant-s.com/special-interview01_02/]に言及したい。音楽の作り手側が、音楽業界がロックの「文化財産」をどのように残していくべきかという課題について述べた貴重な発言である。鈴木健士氏が音楽産業の今後のあり方について問うと、佐久間氏は次のように答える。

 僕は今のメジャーメーカーがやるべきことは新しいものは出さずに過去の音源だけを販売すること。原盤を保持しているものを上手く商品化すれば、10人位で儲かる会社はできると思います。廃盤もなく文化として創り上げた作品を残して行く、それは文化財産としてもいいことだと思う。
 新しいものはレコード会社ではない枠というか新しい事務所的なものになるのか判らないけれど専門の新しい音楽をつくる組織や集合体が出来るといいなと。


 「過去の音源だけを販売すること」がメジャーメーカーの役割だとは、ずいぶん思い切った提言だが、ここには衰退してきた音楽業界に向けた佐久間氏ならではの「ラディカルな意志のスタイル」がある。メジャーが所有している原盤権を活かすためにも、人員を縮小して運営していくのは、会社の存続という現実的問題についての解答の一つだろう。グローバリズムの進展の中で、どの業界も強いられていることだ。

 クラシックやジャズだけでなく、半世紀の歴史を持つロック音楽についても、過去の優れた作品を「文化財産」として保管、経営していく部門と、新しい音楽を制作、経営する部門の二つに分割すること。そして、後者は会社の枠を越えた新しい組織になる可能性があること。業界のことなど全く分からないが、一人の聴き手としては、非常に理解できる考え方だ。

 現在が、60年代後半から80年代前半までに顕著であった、新しいものが日々生まれ、古いものを革新していく時代でないことは確かだ。あの時代は現在進行形で多種多様なものが生まれ、色々なものが入れ替わり、結果として、「ロックの領域」を深化、拡大させていった。
 現在の新しい音楽は、すでにかなり形成されたロックの領域の中の一部分として生み出されるしかない。ただし、新しいと言っても、ある程度、反復されたものが入り込んでいることも致し方がない。半世紀という時間から来るジャンルの成熟は不可避であり、反復は必然的だからだ。

 おそらく、英米でも日本でも、90年代以降の新しい音楽、可能性のある音楽は、反復されたものの「解体構築」のような音楽が中心をなしている。あらゆる物語はすでに語られてしまっているように、あらゆるロックもすでに歌われ、奏でられてしまっている。そのような意識を持たずに、そのような制約から離れて、音楽を作ることは難しい。すでにある音楽をどのように解体し、何を活かし、何を組み合わせ、再構築していく方法しかないだろう。

 ロックの領域は、もはやその「外部」へと拡大深化することはなく、その「内部」で解体構築を繰りかえすしかない。作り手は必然的にそうなり、聴き手もそのように向かわざるをえない。聴き手も聴くという行為を通じて、音楽経験を解体構築していく。まだ抽象的にしか語れないが、そのような方向性がかすかに見えてくる。そのためにも、音楽の「文化財産」がこれまで以上に重要になる。

 志村正彦、フジファブリックの音楽も、ロックを中心とする過去の音楽遺産の解体構築として築かれている。多様な音楽の痕跡が聞こえてくるだろう。しかし、作品として結実された志村正彦の言葉と音楽は、誰にも、他のどのような音楽にも似ていない。それは個性や独創性などという言葉では表せない。絶対的に他と異なる、ある意味では孤絶している、とでも表現するしかない。このライナーノーツは、彼がどのように過去の言葉と音楽を解体し構築し、自らの作品を創っていったのかを、言葉に焦点を当てて、少しでも解き明かすことを目的としているが、まだその端緒についたばかりだ。

 彼を神話化したり、伝説化したりするつもりはない。彼はそれを拒むだろう。
 それでも、志村正彦は「志村正彦という音楽」を創造したのだ、と書くより他に、今は適切な言葉が見つからない。

 今年は、フジファブリックのメジャーデビュー10年、志村正彦の没後5年という区切りの年だ。以前にも述べたが、志村正彦が作った音源やライブの記録映像の中で未発表・未発売のものが、ある程度の量で遺されていると推測される。様々な現実的な問題はあろうが、日本語ロックの文化財産、音楽遺産として、少しでも聴き手に届けられることを待ち望んでいる。

2014年1月13日月曜日

佐々木健太郎、甲府のハーパーズミルで。

 一昨日の11日夜、甲府のハーパーズミル(http://www.harmonicheart.com/ind.html)で、佐々木健太郎の弾き語り「真夜中の発明品 山梨編」を聴いた。アナログフィッシュのツインボーカル・コーラスの一人という立場の他に、一人の歌い手という立場を得て新たにデビューした彼は、ソロとしては初めて山梨で歌うことになった。

 昨年の桜座でのアナログフィッシュ&モールスの素晴らしいライブについては、下岡晃の『PHASE』を中心に、LN58, 59(http://guukei.blogspot.jp/2013/11/ln-58.htmlhttp://guukei.blogspot.jp/2013/12/ln-59_9442.html  )で記した。その時に触れることのできなかった佐々木健太郎の歌について、今回は書いてみたい。

 今後も、志村正彦の存在が座標軸の中心になることに変わりがないが、様々な音楽家の作品、歌詞の世界を取り上げていく場合、特にラベルをつけずに記事にしていきたい。(ただし、志村正彦との関係性が強い内容については、引き続き「志村正彦LN」内で記していく)

 会場のハーパーズミルは甲府の北西の郊外、愛宕山という小さな山というか丘の入り口にある。フォーク系のライブを聴ける場として、甲府でほとんど唯一の店だ。
 マスターの坂田ひさしさんは、東京でシンガーソングライターとして活動後、故郷の甲府に帰ってきて、1985年、カレーと珈琲の店「ハーパーズミル」を開店した。その店を会場に、友部正人や地元の音楽家のライブも始めた。彼自身も歌への想いが尽きることはなく、インディーズから3枚のCDを発表。店の前にレコーディングスタジオ兼ギャラリーも建て、若者たちの「自己表現の場」を提供した。
 ギターに親しんできた彼は、次第に製作も手がけるようになり、ここ十年近くは、フォークギターをの工房「SAKATA GUITARS」(http://www.sakataguitars.com/ja/)の仕事に打ち込んでいる。音楽の分かる製作家として、演奏家からの評価が高い。

 私もかれこれ二十年、特に友部正人が来る時にはほぼ毎回、ハーパーズミルに行き、坂田さんとも知り合いになった。他にも遠藤ミチロウや若き友の雨宮弘哲君(http://amemiyahiroaki.com/)など、記憶に残る数多くのライブがあった。
 普通の会場は「アウェイ」だが、ここは私にとっては「ホーム」とも言える会場。佐々木健太郎がやってくると知って、この日をすごく楽しみにしていた。(2014年は地元で行われるコンサート、特に志村正彦とゆかりのある音楽家のものにはできるだけ足を運び、この偶景webに書いていきたい。)

 6時過ぎに、黒色の帽子に黒いシャツとパンツ、深くてやわらかい眼差しの佐々木が現れる。30人位が入ると満杯になるこの店では、数メートルの距離感で歌を聴くことができる。小さな小さな会場の良さだ。あたたかい雰囲気に包まれる中、『いずる』が歌い出される。美しい声の響きと声量、ギターの力強さ。歌い手の上部はかなり高い吹き抜けの空間になっていて、小さな場にも関わらず、演奏に広がりがある。そして何よりも、歌の言葉が直接的に、深さと切れを持ってこちら側に伝わってくる。
 2月発売の新曲も披露されたが、アナログフィッシュの楽曲の弾き語りヴァージョンを主とする構成だった。そのスタイルゆえに、佐々木の歌の本質が顕わになる。
 アナログフィッシュの佐々木健太郎の「オルタナティヴ」なあり方として、ソロの佐々木健太郎が存在すると言えるだろうか。

 この日に備えて、ここ数日、アナログフィッシュの佐々木作詞曲を集中して聴いた。下岡の歌詞は鋭い社会性と批評性を持つ。それに比べて、佐々木の歌詞は、「恋愛」を巡るものや日常生活の「憂鬱」をモチーフとするものが多い。より私性の強い世界なのだが、佐々木の歌にも、下岡とは別の視点で、「私」を越えた「世界」への関心と「世界」に対する異和のような感性が歌われていることに次第に気づいた。
 アンコールの最後に、僕にとって大切な曲ですと紹介した上で歌った『アンセム』にそのことがよく表されている。

  つたえたい事は空にあって 両手広げて キャッチするが
  迷いながらいつも 迷いながら


 佐々木の歌は、歩行と探求の歌だ。歌の主体「僕」は、東京の街、時に故郷の長野の丘を歩きながら、「空」にある「つたえたい事」を得ようとする。それは「迷いながらいつも迷いながら」の彷徨だ。

  僕の体を駆け巡った 世界を彩るメッセージを
  探してるよいつも 探してるよいつも


 歌の主体は、「僕の体を駆け巡った 世界を彩るメッセージ」を常に探している。なぜ「僕の体」を駈け巡ることが必要なのか。そのような個の身体の経験を通じてしか、「メッセージ」が「世界」を彩ることはないからだ。そのような「メッセージ」を探すことが「僕」にとって生きることの意味だ。それはすぐには見つからない。たとえ見つかったとして再び見失われてしまう。「僕の体」には「駆けめぐった」痕跡が残っているのに、それはすでに通り過ぎてしまっている。
 この状況が具体的に指し示す事柄は、聴き手には分からない。作者の佐々木健太郎はそれを深い慎みをもって隠している。

  世界はまだ多分 抱き合いすらせず
  夜になっていた Oh,Yeah


 「世界はまだ多分 抱き合いすらせず 夜になっていた」というのは、とても美しく甘美で、とても残酷で絶望的なヴィジョンだ。「世界」は「抱き合い」すらせずに、そこに投げ出されている。人と人は出会い損ねる。時は無為に流れる。この歌では、「朝」「夜」「退屈な午後」「退屈な午前」「地球の午後」と、時を指し示す語が繰り返される。時の反復という日常で、「世界を彩るメッセージ」は遠ざかる。

  ハミングが溶けだす 地球の午後 Say hello
  悲しみもためらいも 追い越せる様に 歌を唄う


 「Say hello」、しかし、歌の主体は「悲しみもためらいも 追い越せる様に 歌を唄う」。これは倫理的な意志だ。「歌を唄う」こと自体が「世界」へのアンセムになる。

 ロックは、「世界」への通路を開く音楽だ。『いずる』から『アンセム』まで、2時間ほどのライブを通じて、佐々木健太郎は、フォークに近いスタイルを取りながら、あくまでロックを貫いていた。

【付記】 昨年の桜座「アナログフィッシュ&モールス」に続き、今回もすてきなライブを企画運営していただいた勝俣さん、ハーパーズミルの坂田さん、そして、心が動かされる素晴らしい歌と共に終演後に言葉を交わしていただいた佐々木健太郎さん、ほんとうにありがとうございました。甲府でこのようなライブがあることをとても幸せに思いました。次の機会が訪れることを待ち望んでおります。


【追加】 この記事の掲載時は「詞論」というシリーズで連載していく旨を記しましたが、その後、沢山の音楽家を取り上げていく展開になりましたので、このシリーズ名は設定しないことにしました。それに伴い、題名に付した通番を削除し、記事の一部を変えさせていただきました。内容の変更はありません。(2016.6.27) 
 

2014年1月9日木曜日

「今、ここに、いない」聴き手に向けて (志村正彦LN 68)

 年末から年始にかけて、ビデオテープに録画していた音楽番組でこれからも保存したいものをDVDにダビングする作業をしていた。90年代から00年代前半までの間に放送されたもので、時々、懐かしい映像に見とれてしまうことがあった。

 中でも、NHKBSで1995年に放送された『日本ロック大全集』(第1弾、第2弾共に4夜連続の放送で、分量が多い)の映像には貴重なものが多かった。この番組には、70年代からの90年代半ばまでのライブ映像がたくさん紹介されているのだが、とにかく、みんな若くて初々しい。日本のロックの黎明期からバンドブームの時代の音楽には情熱があふれている。時代を再認識することは大切なことだ。こんな表情をして歌っていたんだな、こんな演奏をしていたんだなと、などと、記憶の中のぼんやりした像が「再生」され、当時の像に「修正」される。

 比較的近い映像では、2000年NHKBSの「風待ミーティング・松本隆トリビュートライブ」(サニーデイ・サービス,曽我部恵一が出演している)、2002年BS朝日の「四人囃子 vs スモーキー・メディスンライブ」などは、映像を食い入るように見てしまった。

 『日本ロック大全集』は、日本のロックのおよそ30年という流れ(1995年当時の)を背景に制作されている。あの頃から、日本のロックを歴史として振り返る意識が生まれ始めたのだろう。30年という時間は、親子ほどの年齢差のある世代的なサイクルとなる。
  この番組からも20年近い月日が流れて、2014年の今日、すでに50年近い歴史およそ半世紀の歴史を、日本のロックはすでに築いてしまっている。(私の人生とほぼ重なる時間だいうことに迂闊にも初めて気づいた)

 ダビング作業と並行して、年末にWOWOWで生放送された「COUNTDOWN JAPAN 13/14」も見ていた。過去と現在のロックを時々ワープするという稀な経験をしたのだが、今のロック音楽家はいろいろと大変だなという感想を持った。会場にいたわけでもなく、あくまで映像を通じてのものだが、何か突き抜けたものがない、自由でない、枠のようなものにしばられている、というような抽象的な感想だ。演奏者だけではなく、聴衆にも同様のことを感じる。「ロッキング・オン」という媒体の質や音楽業界の縮小という状況など、様々な要因があるのだろうが。
 (この問題を正確に書くのには丁寧な準備が要るので、今回はこのあたりに留めておきたい。それにしても、質の高いロックを創っているメレンゲ、GREAT3、アナログフィッシュ等が全く出演していないのはどういう事情なのだろうか)
 
 本質的には、現在の日本のロック音楽家が、洋楽だけでなく、日本のロックの過去50年の蓄積とも比較されてしまう位置にいることは相当「きつい」のだと思う。(「きつい」などと感じることもなく、過去は関係ないという姿勢があってもいいのだが)
 現代の音楽家は、同時代の音楽家だけでなく、過去の音楽家たちとの「音楽の価値」の比較の中に否応なく巻き込まれてしまう。そんなことを望みはしないだろうが、これを避けることはできない。ある音楽ジャンルが成熟してくると、そのような状況が現れるのは不可避だ。音楽は究極的には聴き手のものだからだ。

 聴き手は音楽への向き合い方を選択できる。「聴き手中心の歌(志村正彦LN 22)」[http://guukei.blogspot.jp/2013/04/ln-22.html]で、「聴き手の立場からすると、『現在のシーン』を追いかけるという呪縛から離れて、過去の音源、日本語のロックの半世紀近い歴史とその蓄積からなる作品群を主体的に聴いていく方向がある。この方向はこれからますます強くなっていくだろう」とすでに書いたが、年末年始にかけて、過去の歴史的な映像と現在のCDJの映像を比較して、その想いはさらに強固なものになった。

 もちろん、音楽は歴史的な価値だけでなく、今ここで演奏され聴かれるという現在的な価値、絶対的な価値を持つ。「ライブ」とは「今、ここに、共にある」ことの別名だ。ライブ演奏を通じて、演奏者と聴衆との間に、一時的なものであるにせよ、「共同体」のようなものが形成される。
 現実のつながりが失われがちの時代において、これは貴重な体験なのだろう。CDよりライブ等のイベントの売り上げの方が相対的に伸びているらしいが、非常にうなずける事態だ。

 今、ロック音楽家たちは、かつてないほど、「今、ここに、いる」聴き手を「守る」姿勢を取らざるをえないのかもしれない。まさしく守勢に立たされている。しかし、CDよりライブを重視すると、逆にますます、CDの作品としての質が問われるという悪循環に陥るだろう。
 もちろん、音楽が「今、ここに、いる」人々に向けられたものであることは確かだが、「今、ここに、いない」誰かに向けられたものでもあることも重要ではないだろうか。音楽は「今、ここ」という時と場から離れて、遠い遠い時と場にいる他者に届く場合に、作品としての高い価値を得ることができる。そのような作品だけが歴史に残る。

 志村正彦が遺した言葉と楽曲は、彼が繰り返し述べたように、彼自身を聴き手としていた。そして「今、ここに、いる」聴き手を大切にして、さらにそれを超えて、「今、ここに、いない」聴き手に届けようとしていたのではないだろうか。
 彼が遺した作品は、彼が亡くなった後も、「音楽遺産」のようにして、新たな聴き手を獲得している。

2014年1月5日日曜日

試みの試み (志村正彦LN 67)

 2014年が開けてから、年末に続き、ここ山梨では穏やかな日々が続く。NHK『ゆく年くる年』が北口本宮富士浅間神社からの中継をするなど、世界文化遺産登録の影響か、例年以上に、年末年始の番組や紙面で富士山が取り上げられている。

 昨年の登録決定以来、富士吉田生まれの志村正彦が存命であれば、「フジファブリック」がさらに注目されたのにと思うことがある。富士ファブリック会社由縁の「富士」「フジ」を冠にしたバンド名と、志村正彦の感受性の原点となった富士北麓地域の自然、春夏秋冬や草花をモチーフにした素晴らしい作品群は、富士山の自然と文化とのつながりを、人々に訴える力を持つ。それは、分かりやすいイメージとしてにすぎないのかもしれないが、人々の関心をひきつけることにはなっただろう。
 
 去年、山梨では国民文化祭が開催されたが、志村在籍のフジファブリックであれば、式典等でのライブ演奏が絶対にあっただろう。まだまだ知名度が低い地元山梨で、志村正彦・フジファブリックを知る契機が確実に増えたように思う。(詮無いことではあるが、やはりそのことを書いてしまう自分がいる)でも、こんなことを記すこと自体が、字義通り、「後ろ向き」の発想だろう。何かをなすために、遅すぎるということはない。(そうそう、「It's never too late 」というフレーズは英米のロックの歌によくあるではないか)

 今年は、このブログ以外に、私が暮らしているこの山梨という場で、志村正彦・フジファブリックを、もっともっと知ってもらい、聴いてもらううために活動していくことを考えている。何ができるかは分からないので、ここに何も具体的に書けないのだが、その意志だけは記しておきたい。
 小さな試みになるだろうが、言葉の活動だけではなく、現実の活動を模索していくことも重要だと、それなりに年齢を重ねてきた私も考えるようになった。

 もちろん、主な活動の場は、この 《偶景web》であることに変わりはない。週に1回ないし2回程度の更新を目標に、言葉の活動を続けていくこと。志村正彦が創りあげた歌の言葉の解析を中心に、偶発的な経験、偶景のようなものを織りまぜて、《文》を刻んでいきたい。

 本年もよろしくお願い申し上げます。