2018年2月18日日曜日

『茜色の夕日』の歩み[志村正彦LN174]

 日曜日の朝、この原稿を書いている。
 二月の中旬を超え、厳しい寒さが次第に過ぎ去り、日差しが明るくやわらかくなってきた。今朝は快晴。『茜色の夕日』の「晴れた心の日曜日の朝」を想起させる。


  茜色の夕日眺めてたら
  少し思い出すものがありました
  晴れた心の日曜日の朝
  誰もいない道 歩いたこと


 『茜色の夕日』は歩むことの歌である。記憶への歩みであり、作中の世界でも歌の主体は歩いているという設定ではないだろうか。
 歌詞の引用部分は、「少し思い出すもの」、記憶の光景として、ある日曜の朝の「誰もいない道 歩いたこと」が浮かび上がってくる。「茜色の夕日眺めてたら」という時の只中で。これはあくまで推測であるが、歌の主体は夕日を眺める直前まで、街路か路地か散歩道かどこか分からないが、人通りのない道を一人で歩いていたのではないだろうか。そして、界隈が茜色に染まりだすのに気づくと、立ち止まり、「茜色の夕日」を眺める。歩行と停止、風景の色調の変化は回想を促す。思い出の中の「誰もいない道 歩いたこと」につながっていく。

 『茜色の夕日・線香花火』カセットテープ版『茜色の夕日』のイントロは、ドラムの細やかなリズムの刻みが楽曲のテンポとなり、歩行の律動を奏でているように聞える。オルガン音がのびやかに上昇しおだやかに下降するのも歩行時の身体の所作を思わせる。楽曲のテンポは完成版だとされる6thシングル版と比べるとかなり速い。

 『茜色の夕日』のスタジオ収録の四つの音源の演奏時間を比較してみる。音源時間の歩みを振り返りたい。


1.2001年夏(推定)カセットテープ版
    4分40秒 
( 志村正彦:ボーカル・ギター、渡辺隆之:ドラムス、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース )

2.2002年10月21日CDミニアルバム『アラカルト』版
    4分52秒
( 志村正彦:ボーカル・ギター、渡辺隆之:ドラムス、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース )

3.2004年2月CDミニアルバム『アラモルト』版
   5分12秒
( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、加藤慎一:ベース、山内総一郎:ギター、足立房文:ドラムス )

4.2005年9月6thシングル版・2005年11月2ndCDアルバム『FAB FOX』版
   5分36秒
( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、加藤慎一:ベース、山内総一郎:ギター、足立房文:ドラムス )


 再生ソフトの示す時間を読みとると、カセットテープ版 4:40→『アラカルト』版 4:52→『アラモルト』版 5:12→シングル・『FAB FOX』版 5:36 と、イントロ・間奏などのアレンジ面の差異を考慮しないでを単純に曲の時間で比べると、最終的には1分ほど長くなっている。

 歩行という視点から捉えなおすと、歩行の速度が次第にゆっくりとゆったりとしてきたと捉えることもできる。四つのヴァージョンを聴き比べると、『茜色の夕日』という歌の演奏時間は、志村正彦・フジファブリックの歩みの過程と共に、変化してきたことが伝わってくる。

  (この項続く)

2018年1月27日土曜日

ムジカラグー

 前回紹介したように、フジファブリック『茜色の夕日・線香花火』カセットテープでは演奏者がこう記されていた。

  Vo&G/志村 正彦
  B/加藤 雄一
  G/萩原 彰人
  Key/田所 幸子
  Dr/渡辺 隆之

 Wikipediaの「フジファブリック 略歴」の記述は次の通りである。

2001年
    8月 - 一時解散。
    9月 - 志村と渡辺に萩原彰人、加藤雄一、田所幸子を加えて再結成。デモテープ「茜色の夕日/線香花火」を録音する[18]。
2002年
    8月 - 萩原、加藤が脱退。ムジカラグー結成。
    10月21日 - インディーズ1stアルバム『アラカルト』発表。
    12月 - 田所が脱退。知人の紹介で金澤ダイスケ、加藤慎一がサポートとして参加する。

 脚注が示されているがたどることのできないものもある。この略歴については、書物や雑誌、ネットの記事などの「出典」が不明確であるのが残念である。(結成期からインディーズ時代までの初期フジファブリックの歴史について公に記録されることがあればありがたいのだが)
 このWikipediaの記述を根拠にすれば、『茜色の夕日・線香花火』カセットテープの演奏者から成るバンドは、2001年8月から9月までのおよそ一年間活動したことになる。
 ベースの加藤雄一、ギターの萩原彰人が結成したムジカラグーの音楽はどのようなものだったのか。アルバムを入手し、ネットの記事やyoutubeの映像を探してみた。

 ムジカラグーは2002年に次のメンバーがそろい結成されたようである。

  Vo&Key/松田 恵子
  B/加藤 雄一
  G/萩原 彰人
  Perc/田中 由美
  Dr/仲間 洋

 結成の経緯と音楽性についてはロフトプロジェクトの記事が参考になる。

2001年、加藤(B)と萩原(G)が出会い、数々のボーカルセッションの中、松田(Vo・Key)が加入。その後、仲間(Dr)、田中(Prc)が加入し、現編成となる。当初は60、70年代のソウル、ファンクなどの要素を取り入れた曲を中心に活動していたが、レゲエとソウルの融合的な楽曲の完成とともにワールドミュージック方面にも幅を広げ、バンド名も、ムジカ(音楽)ラグー(煮込み)とし、暑苦しくないレゲエ、踊れるラテン、景色の見える音楽、浮遊感、を合い言葉に活動中。

  今回、ミニアルバム『デイドリーム』 (2005/11/9)、アルバム『popsica』(2006/7/5)を入手して聴いてみたが、確かに「ワールドミュージック」的なテイストにもとづいた、ときにメロウでときにビート感のあるサウンドが印象的だ。ボーカルの松田恵子の声はのびやかで量感もある。加藤(B)、萩原(G)、仲間(Dr)、田中(Prc)の演奏も巧みで安定している。二枚のCDをリリース後、2007年1月に活動休止に入った。(その後一時的に演奏を再開したこともあったようだが、結局、活動を停止したようである)当時のインディーズ界ではそれなりに評価されていて、休止を惜しむ声が少なくなかったようである。

 この二作では『デイドリーム』 が好みだ。題名の通り、白昼夢を想起させる楽曲、まどろみのある声と音の感触がここちよい。ほとんどの作品を加藤雄一が作詞作曲しているので、彼がこのバンドの中心人物であろう。ネットで彼の記事を検索してみると次の発言が見つかった。(景色の見える音楽 Selector's Playlist selected by 加藤雄一

今の僕が室内音楽に求めているのは踊ることや共感する事以上に、景色が見える事が重要なんです。心理的思いのこもった音楽も素晴らしいとは思いますが、あまりに言葉が重いと疲れます。それよりも楽器の音や声や録音音質や旋律に身をまかせると何かどこかに連れてってくれる音楽が聴いていたいなと思います。その音楽をかけると部屋の風景まで変わるような音楽を聴いていたいです。

 なるほど、と思わせる発言だ。「何かどこかに連れてってくれる音楽」「部屋の風景まで変わるような音楽」とは、ムジカラグーが追い求めた音楽でもある。「あまりに言葉が重いと疲れます」というのは正直な実感だろう。ムジカラグーの歌詞は細やかに情感のある風景を描写するのではなく、枠組や背景としての風景を提示している。あくまでも楽曲を中心に景色を描こうとしている。
 彼らの映像がyoutubeに一つあった。『popsica』収録の『さんふらわぁ』(作詞作曲:加藤雄一)のMVだ。歌詞も引用しよう。
 愉快な曲調、軽快なグルーブにのせて、色彩感のある風景がひろがっていく。




 雲の切れ間に 少しのぞいた
 君は青空 曇りのち晴れ

 空はほら 黄金色
 飛行機雲 消える前に

 太陽は行方知らずでも 花は咲いてるよ
 それなら僕らの 心を照らして


前々回の記事を読んでくれた雨宮弘哲君のメールによれば、加藤雄一さんは今も音楽活動を続けているそうである。

2018年1月15日月曜日

『茜色の夕日・線香花火』カセットテープ [志村正彦LN173]

 フジファブリック『茜色の夕日・線香花火』カセットテープのジャケット裏は歌詞カードとなっている。写真の解像度が低いので分からないだろうが、「無責任でいいな ラララ」の部分だけ手書きで記されているのが目を引く。この言葉は多様に読むことができることを考えあわせると、手書きには作者志村正彦のある種の意図があるのかもしれない。



 右下には演奏者のクレジットも記載されている。重要な情報なので転記したい。

  全作詞作曲/志村 正彦
  編曲/フジファブリック
  Vo&G/志村 正彦
  B/加藤 雄一
  G/萩原 彰人
  Key/田所 幸子
  Dr/渡辺 隆之

 「全作詞作曲」とあるのは二曲共にという意味だろうが、この「全」という修飾語には志村の自恃も読みとれる。この下に「Info」として当時の携帯電話のメールアドレスと番号が印刷されている。デモテープという目的から連絡先を入れたのだろうが、活字で印刷されているのは少し驚いてしまう。(写真ではこの部分をカセットテープで隠した)

 写真から分かるように、歌詞カードの黒地と白い文字、カセットテープのタイトル部分のオレンジ色のコントラストが鮮やかだ。「オレンジ色」と書いたが、やはりこの色は「茜色」と呼ぶべきだろう。ジャケットの表側のイラストにも、少し黒みがかった赤色の球のようなものが描かれている。これも茜色の夕日をイメージしたものかもしれない。さらに「線香花火」の火球のイメージも重なるかもしれない。




 「茜色の夕日」が沈むと薄暗い空が闇の黒色へと変化していく。「見えないこともない」「東京の空の星」が広がることもある。「線香花火」の火球と火花、その色合いと光。「短い夏が終わったのに/今 子供の頃のさびしさが無い」(『茜色の夕日』)、「悲しくったってさ 悲しくったってさ/夏は簡単には終わらないのさ」(『線香花火』)。二つの歌は夏の終わりの季節の感覚が色濃く出ている。志村の歌には夏の季節の夕空や夜空の描写も多い。そしてそこには茜色や赤色と黒色の綴れ織りのような色彩感もある。初期の愉快な曲『TAIFU』(詞曲:志村正彦)でも「虹色 赤色 黒色 白!/虹色 赤色 黒色 白!/虹色 赤色 黒色 白!/皆染まっているかのよう!」と連呼されていた。

 『茜色の夕日・線香花火』カセットテープのイラスト画からイメージや色彩の連想や連鎖が起きる。志村正彦・フジファブリックの音楽そのものも色彩感が豊かである。

   (この項続く)

2018年1月5日金曜日

贈り物[志村正彦LN172]

 去年の大晦日の前日、贈り物が届いた。
 雨宮弘哲君からの小包だった。(「弘哲」は「ひろあき」と読む。ここからは普段通りに「弘哲君」と記すことにしたい)彼のことは以前このブログの記事で紹介したことがある。もう二十年以上も前になるが、勤め先の高校で彼と出会った。弘哲君は高校生の頃から歌を作り、東京に行き大学に通いながら音楽活動を始めた。卒業後も仕事をしながら音楽を続けてきた。(「雨宮弘哲 ホームページ」参照)

 包みを解くと、フジファブリック『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープがあった。2001年夏頃、自主制作のデモテープとして制作された。現在は入手困難な非常に貴重なものである。驚きと嬉しさのあまり、しばらくの間そのパッケージを眺めていた。







 手紙が添えられていた。
 弘哲君は、インディーズ時代のフジファブリック(いわゆる第2期)のベーシスト加藤雄一さんとあるパスタ店で一緒に働いていた。音楽をするバイト仲間ということで親しくなり、加藤さんから『茜色の夕日/線香花火』のカセットテープをいただいたそうだ。年末の片付けの際、どこかにしまいこんだまま行方不明になっていたそのカセットをようやく見つけた。(不思議なことにその日はたまたま12月24日だった)。志村正彦について僕がブログで書いていることを知っていた彼は、この貴重なテープをわざわざ贈ってくれたというわけである。

 このテープは時々ネットオークションに出品され高価で取引されている。そういう形で入手するには抵抗があったのでこのテープを手にすることはなかった。当然、音も聴いたことはなかった。デビューのために準備されたデモテープ。『茜色の夕日』を業界に問うような意志で録音された音源は未知の存在であった。(「ロックの詩人志村正彦展」の際に出品していただいた実物を初めて手にすることができたが、その時も音は聴いていない)

 第2期フジファブリックのベース加藤雄一さんから雨宮弘哲君へ、そしてかなりの年数を経て僕のところへカセットテープが贈られてきた。こんなこともあるのだなと僕はしみじみと縁のようなものを感じた。勝手な想いではあるが、幻のテープが十数年をかけて手紙のような形である一人の聴き手という宛先に届いた。そういう心持ちになった。

 おそるおそるテープをかけてみた。年月を経たテープなので切れてしまわないかという不安もあったが大丈夫だった。しばらくするとドラムのイントロが始まり、志村正彦の声が響いてきた。想像よりもずっと若々しい声だった。21歳頃の録音だが、どちらかというと十代後半のティーンエイジャーの声のように聞こえる。青年ではあるが少年の声が入り込んでいるとでも形容できるだろうか。
 全体的にテンポが速い。アレンジも違う。富士吉田からの友人渡辺隆之さんが的確にリズムを刻む。加藤雄一さんが落ち着いたベースを奏でる。萩原彰人さんが弾くギターの旋律が豊かに広がる。田所幸子さんのキーボードの音色がのびやかで美しい。ミキシングなど録音面の課題があるが、歌も演奏も力強く、作品として充分に高い質を持っている。何よりも言葉が一つひとつ聴き手にせまってくる。

 『茜色の夕日』という作品の重要性はあらためて言うまでもない。志村正彦の原点であり、ある意味ではずっと目標でもあり続けた作品である。
 この歌は志村の個人的な経験を素材にしていると本人が語っている。2001年録音のカセットテープ版『茜色の夕日』は、その個人的経験と時間的にも心理的にもまだそう離れていない地点に歌い手がいる。その出来事の余波の渦中にまだいる中で、その経験を見つめなおし、歌う意味を問いかけている。

 (この項続く)

2017年12月31日日曜日

時代の断裂[志村正彦LN171]

 2012年12月にこのブログを始めてから5年経ち、ページビューも19万を超えた。思いつくままに不定期で書いてきたにもかかわらず、拙文を読んでいただいた方々にはとても有難い気持ちになる。
 毎年大晦日に振り返りのようなものを載せてきた。今年はもう2017年。すでに2010年代も後半に入っている。今日はこの時代についても書いてみたい。

 12月23日のSPARTA LOCALS、Analogfishのライブは、音楽そして言葉の力のあふれるものだった。志村正彦・フジファブリックと同時期にデビューしたこの三つのバンドは、オールタナティブ系という括りを超えて、2000年代を代表する日本語ロックのバンドだろう。
 この三つのバンドのデビュー時のマネージャーが語り合っているLOFTの記事「3バンドマネージャー対談 〜明日のロックを担うのは、俺たちでしょうが!(金八風)〜」がある。発掘からデビューまでの経緯が具体的に言及されていて興味深い。

 SPARTA LOCALSは福岡で、Analogfishは長野で、短い期間ではあるがライブ活動をした後に上京しデビューした。それに対して、志村正彦・フジファブリックは高校卒業後すぐに上京して音楽活動に備えていた。この点が違いといえば違いだろう。富士吉田には活動できるライブハウスなどの場がほとんどなかった。山梨の方が東京に近い(富士吉田から東京までは車で1時間半ほどの距離)という地理的な条件もあった。志村正彦は迷わずに東京へ出ていったのだろう。三つのバンド共に2000年前後に上京し、2002年から2003年にかけてインディーズデビューを果たす。デビューアルバム・ミニアルバムの発表時期を記しておこう。

 2002年 4月  SPARTA LOCALS 『悲しい耳鳴り』
 2002年10月   フジファブリック 『アラカルト』
 2003年 6月    Analogfish 『世界は幻』

 この三つのバンドは同時期にデビューしたライバルとして互いを意識していただろう。作風も演奏も異なるが、日本語ロックの最先端を担う者たち同士として、孤高の道を歩みながら慣れ合うことなく交流していったようだ。2005年11月、合同企画「GO FOR THE SUN」イベントはその象徴である。ないものねだりだが、このライブのフル映像を見たいものだ。CSで放送されたそうだが、権利上の問題からDVD化は不可能なのだろうが。

 11月末まで仕事がとても忙しく、ブログの更新もおろそかになった。12月に入り少し余裕が出てきたので、SPARTA LOCALSとAnalogfishの初期作品から現在までのアルバムを繰り返し聴いてみた。(SPARTA LOCALSの場合、HINTO、堕落モーションFOLK2という流れで)
 彼らの音楽の中心にあるものは全く変わっていない。変わらないということを変えないで持続してきた表現者の刻印がいたるところにある。これだけでも驚くべきことなのだが、それ以上に驚嘆すべきなのは、この二つのバンドの言葉と楽曲がつねに深いところへ進み続けているということだ。変わらないままに進み続けている。変わりながら進むことは可能でも、変わらないままに原点を持続して、進化、深化していくのは極めて難しい。

 SPARTA LOCALSは2009年に解散した。Analogfishは2008年に斉藤州一郎の休養があったが幸いに2009年に復帰した。この時実質的にはバンドとして再出発したのではないかと思われる。
    前々回触れたが、2009年のSPARTA LOCALS解散時に志村正彦が『スパルタが解散したら、ロックシーンはどうなるんだ』と安部コウセイにせまった。
 2009年12月24日、志村正彦は亡くなった。「志村正彦のフジファブリック」は永遠に失われてしまった。「COUNTDOWN JAPAN 09/10」の12月28日のステージで、Analogfishの下岡晃は「ちょっと話したいんだけど」と、スパルタローカルズの解散、フジファブリックの志村の急逝という、仲間との別れへの悲しみを口にして、「俺たちは誠実に旅を続けようと思う」と『Life goes on』を演奏したそうである。(クイックレポート COUNTDOWN JAPAN 09/10 高橋美穂)
 2009年、ゼロ年代の終わり近くに、SPARTA LOCALS、Analogfish、フジファブリックは各々、解散、再始動、終焉を迎えた。

 事実の羅列になってしまうが、SPARTA LOCALSの後継、HINTO/堕落モーションFOLK2とAnalogfishの2010年代のこれまでの展開を振り返りたい。
 2010年、HINTOは活動を始め、2012年6月『She See Sea』、2014年7月『NERVOUS PARTY』、2016年9月『WC』、堕落モーションFOLK2は2012年5月『私音楽-2012春-』、2015年5月『私音楽-2015帰郷-』をリリースした。
 2011年3月の東日本大震災、福島原発事故。その現実に向かい合うようにして、Analogfishは「社会派三部作」といわれるアルバム、2011年9月『荒野 / On the Wild Side』、2013年3月『NEWCLEAR』、2014年10月『最近のぼくら』をリリース。2015年9月『Almost A Rainbow』発表。彼らのアルバムやライブについてはこのブログで何度も取り上げてきた。彼らが誠実に真摯に旅を続けてきたことは間違いない。

 SPARTA LOCALS/HINTO/堕落モーションFOLK2、Analogfish。共に、2000年代と2010年代との間に断絶、というよりも痛みを伴った断裂がある。バンド自体の活動が十年に達し、メンバーの年齢も二十歳代から三十歳代に入る。メジャーからインディーズへと拠点が変わる。各々の固有の問題もある。それと共に、2011年の震災・原発事故という社会的歴史的な断裂が決定的な影響を与えたように思われる。

 日本でも欧米でも、三十歳の壁を越えて優れた作品を作り出すロック音楽家は少ない。(質を保ち続けたとしても寡作になる)自己模倣とファンの囲い込みと業界の法則の中で、軽い石のようにころころと転がり続けるしかないという現実がある。「ロック」という音楽そのものの「壁」かもしれないなどと訳知り顔で言いたくなるが、HINTO・堕落モーションFOLK2やAnalogfishはその「壁」を壊し続けている。少なくとも「壁」に挑み続けている。

 「志村正彦のフジファブリック」が2010年代の音楽を創り上げることができたとしたら、どんなものになっていたのだろうか。音楽的な想像力が乏しい筆者には何も想い描けないのだが、2017年の終わりの日にそんなことをふと思ってしまった。
 


 

2017年12月27日水曜日

SPARTA LOCALS『ウララ』(12/23 渋谷WWW X)

  前回に続き、「SPARTA LOCALS presents『TWO BEAT』:SPARTA LOCALS / Analogfish」(渋谷WWW X)について書きたい。
 
 そもそも「SPARTA LOCALS」というバンドを知ったのは、『美代子阿佐ヶ谷気分』(監督・坪田義史)という映画を通じてだった。公開は2009年。その翌年wowowで放送された際に見た。この作品は安部コウセイ・光弘の父母、安部愼一・美代子を描いた原作の漫画を映像化したもの。70年代初頭の阿佐ヶ谷を舞台に、漫画家の愼一と恋人の美代子の日々の光と影を描いた優れた映画だった。最後の方で時間は現在に変わり、安部愼一本人が登場する。主題歌はSPARTA LOCALS『水のようだ』。タイトルバックで彼らの演奏も映し出される。

 それからしばらくして、志村正彦・フジファブリックとの関係を知り、音源や映像をたどるようになった。
 始めてSPARTA LOCALSを聴いたときに二つのギターの音の絡み方やハイトーンのボイスに、ある種の懐かしさのようなものを感じた。英米のパンク、ニューウェイブ系のバンドに似ているサウンドがあった。どのバンドか、すぐには思いつかない。ネットで記事を探すと、安部コウセイがTelevisionからの影響を語っていた。なるほど、Tom Verlaine率いるTelevisionか。確かに似ている。僕はTelevisionをリアルタイムで聴いている世代だ。70年代ニューヨークのパンク・ニューウェイブの代表、Patti Smith、Talking Headsと共に、Televisionの『Marquee Moon』(1977年)、『Adventure』(1978年)は学生時代の愛聴盤だった。LPジャケットの写真も秀逸で「それらしさ」を醸し出していた。

 SPARTA LOCALSの特徴あるギターサウンドに乗って繰り広げられる歌の言葉には、どこにも帰属できない単独者の憂いや叫びがあった。持て余したような悲しみや怒りの陰影があった。それらと矛盾するようで矛盾しない、ほんわりしたユーモアもあった。そのようにしてかなり練り上げられた歌詞がサウンドと違和感なく融合している。ニューヨークパンクに起源のあるサウンドに優れた日本語歌詞が的確に乗っている。それは驚きであり新鮮な経験でもあった。「日本語パンク」(あえてそう位置づけよう)の伝統の中でもSPARTA LOCALSは独創的な位置を占めている。 2009年の解散時に志村正彦が「スパルタが解散したら、ロックシーンはどうなるんだ」と言ったのは、その言葉通りのきわめて正当な評価だろう。

 安部はSPARTA LOCALS再結成について言及した記事で、「HINTOもあって、堕落もあったから、スパルタを俯瞰で観れるようになった」と語っている。2017年の現在、彼らはHINTO、堕落モーションFOLK2、SPARTA LOCALSという三つのバンドで活動している。このトライアングルの存在自体が現在の音楽シーンできわめて貴重だ。その姿勢は真摯であり、自由であり愉快ですらある。

 今回のライブを前にあらためて7枚のアルバムを繰り返し聴いた。最も好きなのは3rdアルバム『SUN SUN SUN』冒頭曲の『ウララ』だ。冬が終わり春うららの季節を迎える「君」と「僕」の物語。「小さい雨」「なずなの群れ」に見られる季節感は福岡県田川の出身ということもあるのだろう。「ふるさとは今日も晴れてるらしいね/友だちの顔が少しよぎったんだ」にも、地方から上京した都市生活者の想いが自然に滲み出る。ほんのりした笑いもある。そして何よりも「忘れちまった事も忘れた 忘れちまった事も忘れた」には、阿部コウセイでしか伝えられない世界がある。

 12月23日の渋谷WWW X。Analogfishのステージが終わり、セッティング時間の後にドラムス中山昭仁のかけ声でSPARTA LOCALSのライブが始まった。伊東真一のギターも安部光広のベースも、あたりまえのことだが、HINTOとは異なる。ホールの音響特性もあり、音の塊感が尋常でない。容赦なくこちらにぶつかってくる。これがスパルタの音かと感慨が走る。でも解散前のことは分からない。これはやはり「2017年のSPARTA LOCALS」の音なのだろう。

 アンコール2曲目、最後の歌は『ウララ』だった。単純にうれしかった。少しやわらかな表情で歌うコウセイ。会場からの「カモン!カモン!カモン!」のやりとり。とてもいい雰囲気だった。
 この歌には、HINTOや堕落モーションFOLK2につながるエッセンスもある。歌詞の全編を引用してこの回を閉じたい。


 ウララ (作詞:阿部コウセイ 作曲:SPARTA LOCALS)


誰かの原チャリまたがって 君は笑う (カモン!カモン!カモン!)
日光とっても やさしいぜ 僕も笑う (カモン!カモン!カモン!)
 何かどーでもいい 理屈や不安に
 ちょっと溺れていた 冬は終わったんだ

ふんだりけったりされたって 僕は唄う (カモン!カモン!カモン!)
ハッタリ元気ふりしぼって 君はおどる (カモン!カモン!カモン!)
 全部わかるふりしなくてもいいかい?
 本当はいつでも こんがらがってんだ

生きてる事とかに緊張したって しょうがねーや
退屈すぎるけど それも嫌だって思わん

  小さい雨 なずなの群れを 濡らしている (カモン!カモン!カモン!)
  青すぎる空気吸い込んで 鼻が出たよ (カモン!カモン!カモン!)

 ふるさとは今日も晴れてるらしいね
 友だちの顔が少しよぎったんだ

世界のイカサマに落ち込んだって しょうがねーや
まじめな事とかは明日話そうか、温いから

  忘れちまった事も忘れた 忘れちまった事も忘れた
  忘れちまった事も忘れた 忘れちまった事も忘れた

 君はウララ 僕もウララさ

2017年12月24日日曜日

Analogfish『There She Goes (La La La)』(12/23 渋谷WWW X)

  昨夜、渋谷WWW Xで「SPARTA LOCALS presents『TWO BEAT』出演:SPARTA LOCALS / Analogfish」を見て帰ってきた。甲府駅に着く頃には日付が変わろうとしていた。底冷えのする街を歩きながら、二つのバンドの残響が頭に回り続ける中で、12月24日を迎えた。

 SPARTA LOCALSは2009年9月に解散した。その際に志村正彦が安部コウセイに伝えた言葉が、『FAB BOOK』(角川マガジンズ 2010/06)「Special Interview for Fujifabric」に掲載されている。安部はこう述べている。


 「そういえば、スパルタローカルズが解散するっていう時に、すっごい志村に怒られたんですよね。電話がかかってきたんですよ。うわ、志村だ、あいつ絶対怒ってると思ってシカトしてたら、メールがきて。『てめえ、なんで電話にでねえんだ』って、キャラクター変わってる勢いのメールで。『スパルタが解散したら、ロックシーンはどうなるんだ』みたいな内容でした。別に、どうにもなんねえよって返しましたけど。でも、びっくりした。そんなに怒られるとは思ってなかったから。解散ライブには、フジファブリックみんなが来てくれたんですけど、すげえ睨まれた、志村から。ホント、子供みたいなやつですよね」


 志村にそこまで言わせたSPARTA LOCALSの存在。生で聴くことは永遠にないと思っていたが、昨年、「復活」した。ライブに行く機会を探していたところ、Analogfishとの組み合せで12月23日にあることを知った。クリスマスイブの前夜、渋谷は大変な混雑だろう。どうしようかかなり迷った。Analogfishは甲府の桜座でここ4年ずっと聴いてきた。彼らがライブの回数を減らしたせいか、今年、桜座での公演はなかった。年に一度は彼らの音の波動に浸りたい。SPARTA LOCALSとAnalogfishはフジファブリックの同世代バンドとして、志村が高く評価していた。2005年11月、この三つのバンドの合同企画「GO FOR THE SUN」イベントもあった。この機会を逃したら、この二バンドの組み合せを経験することは当分ないだろう。そう考え決心した。

 予想以上に渋谷は大変な賑わい。昨年のHINTOライブの時はハロウィンの最中だったがそれ以上の人出。華やぐ街を五十代後半男性が一人歩く場違い感がすごい。会場は満員。三十代後半から四十代前半の男性も少なくなかったので、少し落ち着けた。

 7時を過ぎてAnalogfishからスタート。この日はギターの浜本亮(Ryo Hamamoto)を入れての4人編成。桜座でのmooolsとの混成バンドで、浜本のギターを加えたAnalogfishを聴いたことがあるが、最初からは初めて。音に厚みがあり多彩だ。桜座では音が綺麗で垂直に立ち上がるが、WWWXでは音が重厚で水平に広がっていく。フロアで踊る若者にはこの感触の方が好まれるだろう。僕の好みは桜座だが。
 新曲もまじえて馴染みの曲が続く。佐々木健太郎は髪を後ろに束ねて別人のようだったが、力強く伸びる声は彼ならではの個性だ。下岡晃は「クソみたいな気持ちに対抗する」ために歌っているとMCで述べた。彼の歌詞はいつも時代に抗っている。この日は特に『There She Goes (La La La)』が素晴らしかった。祝祭感あふれるグルーブを斉藤州一郎のドラムが支えている。

 この曲のMVが粋だ。色彩のある街は渋谷だろうが、始まりと終わりそして時折、砂浜の白黒の映像が浮かび上がる。「砕けた夢のかけら」が舞い上がるかのように。 公式映像と歌詞の後半を引用したい。こんなラブソングはAnalogfishにしか創れないだろう。
    (この項続く)




『There She Goes (La La La)』(作詞:下岡晃 作曲:アナログフィッシュ)


  長い長すぎる夜を
  駆け抜ける方法は

  君が残していった香りを
  辿るだけでいいのさ

  Where are you going?
  わからない

  What do you believe in?
  何もない

  Where are you going?
  わからない

  What do you believe in?
  君だけさ Yeah

  La La La

  彼女が道を行けば
  砕けた夢のかけらが
  もう一度舞い上がる

  La La La