2017年10月7日土曜日

一人ひとりに伝える-宮沢和史氏の講演会2

 宮沢和史氏の講演会について追記したいことがある。

 講演終了後、生徒からの声を募った。
 沖縄でなく山梨のことを歌ったものがあるかという質問があった。宮沢さんはいくつもあるとした上で特に『星のラブレター』『中央線』の二曲の名を挙げた。軽音楽同好会の部長は、私も音楽を作るのですけど音楽を人に伝えるためにどのようにしていますかと尋ねた。宮沢さんは、観客が数千人の時も五十人位の時もあるが、どんな時でも一人ひとりに向けて歌を伝えていくように心がけていると語った。
 聴き手の一人ひとりに伝える。あの日の体育館には九百人ほどの生徒、保護者、教師がいたのだが、あの『島唄』はまさしくその一人ひとりに届けられた。そのような感触が確かにあった。

 最後に生徒会代表の生徒が御礼のあいさつをした。
 生徒は静かに話し出した。私には沖縄の血が流れている。祖父は沖縄で生まれて小さい頃に沖縄戦を経験し、本土に移住してきた。祖父からは沖縄の話をたくさん聞いてきた。私が今ここで生きている。その命のことを宮澤さんの講演からあらためて考えた。そのような話だった。
 この事実は講演会を企画した私たちも全く知らなかった。偶然だった。
 沖縄にルーツがある生徒と『島唄』の歌い手。かけがえのない講演会となった。

2017年9月30日土曜日

宮沢和史氏の講演会

 昨日、宮沢和史氏の講演会が勤め先の高校で開催された。(僕は主催者側の担当として企画と運営に携わった。教師は教科以外に様々な係の仕事を担っている。僕は「キャリア教育」という係に所属しているのだが、専門家の講演、大学との連携講座、事業所との連携事業やインターンシップなどが主な仕事だ。総合学科なのでその数や種類も多い。)
 今回は、宮沢さんの高校時代の同級生が二人この学校で教師をしていたり、宮沢さんが推進委員の代表となっている「未来の荒川をつくる会」(この荒川の近くに校舎がある。宮沢さんの実家も近くにあり、釣り好きの彼の歌の中にはこの荒川上流が舞台となっているものがある)の清掃活動に生徒が参加したりしている縁があったので、宮沢さんにはこの依頼をこころよく引き受けていただいた。

 題名は「山梨から沖縄、そして世界へ」。
 全校生徒と教職員そして聴講希望の保護者合わせて900人が体育館に集まった。雨上がりの暑い日で蒸し暑かった。映像投影のために黒いカーテンが閉められていた。九月の終わりなのに晩夏の季節のようだった。

 沖縄戦の話から始まった。生徒が想像しやすいように、甲府盆地を舞台にした喩えが使われ丁寧に説明されていく。沖縄戦の現実。沖縄でまだほんとうの意味では戦争が終わっていないこと。彼の落ち着いた低い声が場内に響いた。

 話の焦点は次第にザ・ブーム『島唄』にあてられていく。CD音源がかけられ、当時の写真がスクリーンに投影され、歌詞の「ダブルミーニング」が本人によって解き明かされていく。こういう機会はほとんどない。この歌を作った理由、この歌が沖縄の人々に反発されながらも次第に受け入れられていった経緯。歌詞が「二重構造」を持つとともに、音階の点でも沖縄音階と西洋音階の「二重構造」を持つこと。彼自身によってこの歌の歴史が語られ、彼自身の言葉で分析されていった。歌詞と音階の「二重構造」という表現が印象的だった。

 あくまで講演会であり音楽会ではないので、こちら側から歌を求めることはしなかったのだが、講演の最後に宮沢さんは三線を取り出し壇上から生徒のいるアリーナに降りていった。でもマイクスタンドは用意していない。PAも体育館の設備しかない。どうすればよいのだろうと一瞬困惑したのだが、彼はマイクを使わずに三線を抱えて弾きながら、そのまま歌い出したのだ。驚きと感激。こういう展開は予想していなかった。

 宮沢さんの声は中低域が厚く、独特の味わいがある。彼の声が体育館の大きな空間に広がっていく。確かな声量に圧倒される。


  島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ

  島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を 


 歌い方や身体のリズムの取り方そして眼差しも、どこか遠い彼方に「声」を届けるように集中している。息は命であり、息がそのまま声となり言葉となっていく。講演も良かったのだが、やはり彼は歌い手だ。歌が彼の伝えようとしたことのすべてを伝えていた。ザ・ブームのライブで『島唄』は何度も聴いたことがあるが、昨日はこの歌の「真実」を経験したような気持ちになった。

 講演の前後に1時間半ほど、宮沢さんを囲んで色々な話を聞くことができた。久しぶりの同級生との再会ということで高校時代の思い出話もたくさんあった。僕はもちろん初対面だったので聞き役に回っていたのだが、少しだけ質問したいことがあった。その返答をここに書くのは控えるが、彼の考えをわずかではあるが知ることができた。この場を借りてあらためて感謝を申し上げたい。

 昨日、宮沢和史がひとりで自分の声だけで900人の聴衆のひとりひとりに届けようとした、そして確実に届いた『島唄』は、歌うという行為の根源的な力を表していた。そのことを繰り返し強調しておきたい。                               

2017年9月17日日曜日

「鮮やかな花を咲かせよう」-『蜃気楼』5[志村正彦LN165] 

 フジファブリック『蜃気楼』の次の第4連に、「鮮やかな花」がなぜ出現したのだろうか。


  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう


 前回述べたように、映画に内在するものというよりも映画から触発された作者志村正彦のモチーフから来たものだと考えられる。この「鮮やかな花」に込められた思いとはどのようなものだろうか。
 
 志村正彦は「花」というモチーフを繰り返し歌ってきた。『蜃気楼』以外で「花」という言葉が登場する作品を幾つか引用してみる。「桜」や「金木犀」のような具体的な花の名や「花束」というような語彙のある歌詞は除くことにする。


  そのうち消えてしまった そのあの娘は
  野に咲く花の様
    『花屋の娘』

  どうしたものか 部屋の窓ごしに
  つぼみ開こうか迷う花 見ていた

  花のように儚くて色褪せてゆく
  君を初めて見た日のことも
    『花』

  だいだい色 そしてピンク 咲いている花が
  まぶしいと感じるなんて しょうがないのかい?
    『ペダル』

  帰り道に見つけた 路地裏で咲いていた
  花の名前はなんていうんだろうな
    『ないものねだり』


 「野に咲く花の様」「花のように儚くて色褪せてゆく」という比喩の対象として使われたり、部屋の窓ごしに見る花、路面の脇や路地裏に咲く花など、見つめるあるいは見かける対象として表現されたりしている。歌の主体そして作者志村正彦の「花」に対する眼差しには、思いがけないもの、かけがえのないものと遭遇したような感触がある。

 それに対して、『蜃気楼』の「鮮やかな花」は今ここで見ているものではなく、これから見ようとしている花である。「おぼろげに見える彼方まで」「咲かせよう」とする「鮮やかな花」はあくまで意志と想像によって描こうとしている花である。他の花の歌にはない特徴である。志村はどうしてそのような想像の花を咲かせようとしたのだろうか。

 前回紹介した『プラスアクト』2005年vol.06(ワニブックス)の志村のコメントから参考となる個所を再度引用してみる。


(映画のテーマ曲を)やりたいと思えたのは、実際に映画を観てからですね。希望もあるんだけど、でも迷って、思いもよらない方向に物事が転がっていく、そのもがいて進んでいく感じがバンドの活動や日々の生活していく上で自分が感じていることと、通じるものがあるなと思ったんです。

その時浮かんでいたのは、霞がかかった何もない所で、映画の主人公なのか僕なのかわからないですけれどウロウロしてる時に、色んな人が来たり、色んな風景が通り過ぎて”どうしよう”という感じ。『スクラップ・ヘブン』を観終えた時、”ちょっとどうしよう…”って感覚が自分の中にあって、でも、そう思う中にも、おぼろげだけど希望が見えている。希望とは言っても、具体的な何かじゃないから生々しくてリアルだなぁと思ってたんですよね。


 この二つに分けた引用個所のどちらも「希望」という言葉がキーワードになっている。『スクラップ・ヘブン』の物語の結末、シンゴが登場するラストシーンは、一般的には「希望」を抱けるようなものではない。しかし、志村は「おぼろげだけど希望が見えている」と受けとめた。
 
 志村が感じた「希望」について、筆者は完全に同意できるわけではない。しかし確かに、映画の主人公たちが追い求めていた「世界を一瞬で消す」欲望は成就しなかった。欲望はあっけなく横取りされたかのように消え去った。劇的な何ものも起こらなかった。破局は訪れなかった。主人公の三人はみな生き残った。「絶望」とは明らかに異なる。だから、この結末にある種の希望を感じとることは可能だ。監督の意図もおそらくこの映画を観る者が自由に考えることにある。

 志村は「おぼろげだけど希望が見えている」という自身の感性と解釈に忠実にエンディングテーマを作ろうとした。彼は「希望とは言っても、具体的な何かじゃないから生々しくてリアルだなぁと思ってたんですよね」と補うことも忘れていない。
 「希望」は具体的にこういうものだと言葉で説明することはできない。『スクラップ・ヘブン』にふさわしい「生々しくてリアル」なものとして心に浮かぶものだ。そのように考えた志村は、「月を眺めている」「降り注ぐ雨」「新たな息吹上げるもの」という自然の風景や景物を展開した上で、「この素晴らしき世界」の「おぼろげに見える彼方」に「希望」を象徴的に描こうとして「鮮やかな花」を出現させようとしたのではないだろうか。

 この「鮮やかな花」は、映画の主人公シンゴやテツ、サキにとっての希望であると同時に、それ以上に、作者志村正彦にとっての希望、おぼろげなものではあるが希望と名付けられる何かの「息吹」を上げる「花」であろう。

  (この項続く)

2017年9月10日日曜日

彼方の花-『蜃気楼』4[志村正彦LN164]

 前回、フジファブリック『蜃気楼』CD版の第2連から4連までの歌詞は、志村正彦自身のモチーフから創作されたという考えを記した。歌詞の言葉から考察したものだが、作者自身がこの点について発言したものがないかと資料を探してみた。入手できたのは次の四点である。

・『スクラップ・ヘブン』パンフレット(オフィス・シロウズ、2005/10/8)
・『スクラップ・ヘブン』スペシャルフォトブック(ワニブックス、2005/9/14)
・「シナリオ」2005年 11月号(シナリオ作家協会)
・『プラスアクト』2005年vol.06(ワニブックス)

 『スクラップ・ヘブン』パンフレットには李相日監督と志村正彦の対談、裏表紙の裏には『蜃気楼』歌詞が掲載されている。「シナリオ」2005年 11月号には『スクラップ・ヘブン』シナリオの全文が収録されている。『プラスアクト』2005年vol.06(株式会社ワニブックス)という映画雑誌には志村のコメントが載せられている。『スクラップ・ヘブン』スペシャルフォトブックには『蜃気楼』やフジファブリック関連の記事はない。

 この中では特に『プラスアクト』に非常に参考になる記事があった(文:鷲頭紀子)。志村はこの曲の成立過程について次のような貴重な証言を寄せている。少し長くなるが全文を引用したい。


最初、映画のエンディングテーマの話が来てるという話を聞いて、映像に音楽を付けてみたい願望は元々あったものの、その段階では決められなくて。やりたいと思えたのは、実際に映画を観てからですね。希望もあるんだけど、でも迷って、思いもよらない方向に物事が転がっていく、そのもがいて進んでいく感じがバンドの活動や日々の生活していく上で自分が感じていることと、通じるものがあるなと思ったんです。実際の作業は凄い難しかったです。劇中に流れている音楽とのバランスや、李監督の要望も考えつつ、でもフジファブリックとしてもいい曲にしたいというのがあったので。バンドメンバーと映画を観て、どういう曲が合いそうかセッションを繰り返して、それを絞り込む時が一番悩みました。いつもは曲が先行のことが多いんですが、『蜃気楼』は曲と歌詞がほぼ同時進行でした。その時浮かんでいたのは、霞がかかった何もない所で、映画の主人公なのか僕なのかわからないですけれどウロウロしてる時に、色んな人が来たり、色んな風景が通り過ぎて”どうしよう”という感じ。『スクラップ・ヘブン』を観終えた時、”ちょっとどうしよう…”って感覚が自分の中にあって、でも、そう思う中にも、おぼろげだけど希望が見えている。希望とは言っても、具体的な何かじゃないから生々しくてリアルだなぁと思ってたんですよね。だから映画を観ていない人でも『スクラップ・ヘブン』を観た後の、そういう感覚を想像出来るような曲に『蜃気楼』はしたいと思っていました。李監督にはメールで感想を貰いました。最初に「”映画を観終わった”という感じが欲しい」という要望を頂いてたんですが、「それが出来て良かったです」というような内容でしたね。今回初めてこういう、映画の音楽をやってみて、お互いの感覚がぶつかり合ってる感じが楽しかったです。映像と音楽と両方で作り上げてるというか、両方を一緒にやれることの凄さを発見しました。
  (フジファブリック 志村正彦)

           
 いくつか重要なことが語られている。
 映画のエンディングテーマとして監督の要望に応えると共に「フジファブリックとしてもいい曲にしたい」という意欲や映画を観ていない人でも『スクラップ・ヘブン』を観た後の感覚を想像出来るような曲にしたいという想いから、映画のテーマ曲であると同時に自立した音楽作品を試みた志村の意気込みが感じられる。結果として、この二つを狙ったことが『蜃気楼』の質を高めた。

 さらに歌詞の内容に関わる重要な証言がある。「霞がかかった何もない所で、映画の主人公なのか僕なのかわからないですけれどウロウロしてる時に、色んな人が来たり、色んな風景が通り過ぎて”どうしよう”という感じ。」という箇所だ。

 『蜃気楼』は、歌詞中の言葉としては「僕」や「私」という一人称代名詞は登場しないが、潜在的な一人称の主体からの視点で歌われている。通常の映画テーマ曲であれば、歌の主体は映画の主人公として設定されるだろうが、『蜃気楼』の場合はやや異なる。歌の主体は映画の主人公であると共に、音源の作者である志村の分身のような存在であるようなのだ。

  志村は、曲と歌詞がほぼ同時進行の制作過程で浮かんでいたのは、「映画の主人公なのか僕なのかわからない」主体が遭遇する人や風景だったと述べている。彼はこの映画の主人公「シンゴ(テツやサキ)」とかなりの程度同一化してこの映画を鑑賞したようだ。その経験が『蜃気楼』の歌詞にも影響を与えている。その痕跡が、第2連から4連までの歌詞に現れているのではないだろうか。

 もう一度、第2連から4連までに第5連も加えて引用しよう。CD版にしかない部分、映画版では省略されている部分である。

 
2  喉はカラカラ ほんとは
   月を眺めていると

3  この素晴らしき世界に降り注ぐ雨が止み
   新たな息吹上げるものたちが顔を出している

4  おぼろげに見える彼方まで
   鮮やかな花を咲かせよう

5  蜃気楼… 蜃気楼…


 『プラスアクト』収録のコメントを一つの根拠にして考察すると、この部分の主体はやはり作者志村正彦の分身のように思われる。「月」「雨」という自然の風景。そして何よりも「花」の登場。「蜃気楼」の出現。映画自体にはこの部分と関連する具体的なシーンはない。どこかで無意識に触発された可能性はあるが、作者の志村が想像した世界であり、伝えようとしたモチーフではないだろうか。

 歌の主体は、「この素晴らしき世界」の彼方に「鮮やかな花を咲かせよう」という願いとも祈りともとれる言葉を紡ぎ出す。蜃気楼が、光の異常な屈折のために空中や地平線近くに遠方の風物の像が見えたり、像の位置が倒立したり実在しない像が現れたりする現象だとするなら、歌の主体が世界の彼方に咲かせようとする「鮮やかな花」とはまさしく蜃気楼のような像かもしれない。
 この「鮮やかな花」が「蜃気楼」のように作者志村正彦の心のスクリーンに出現したのであろう。

  (この項続く)

2017年9月3日日曜日

CD版と映画版の差異-『蜃気楼』3[志村正彦LN163]

 中断していたフジファブリック『蜃気楼』について再開したい。

 第2回で書いたように、フジファブリック『蜃気楼』のCD収録のオリジナル音源(6thシングル『茜色の夕日』、『シングルB面集 2004-2009』収録)と映画のエンディングで使用されたバージョン(映画のタイムでいうと、「1:53:22」から「1:56:32」まで流れる)には違いがある。(以下、CD版と映画版と略記する)
 CD版の時間は5分55秒、映画版は3分10秒程度。この二つの差異には単純に時間を短くしたとは考えられない点がある。歌詞については次のような違いがある。八つある連を数字で示し、CD版のみにある部分(映画版にはない部分)を赤字で示す。


1  三叉路でウララ 右往左往
   果てなく続く摩天楼

2  喉はカラカラ ほんとは
   月を眺めていると

3  この素晴らしき世界に降り注ぐ雨が止み
   新たな息吹上げるものたちが顔を出している

4  おぼろげに見える彼方まで
   鮮やかな花を咲かせよう

5  蜃気楼… 蜃気楼…

6  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
   消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

7  おぼろげに見える彼方まで
   鮮やかな花を咲かせよう

8  蜃気楼… 蜃気楼…


 第2連から5連までの赤い字の部分、映画版では省略された箇所に注目してみる。

 第2連は「喉はカラカラ ほんとは」という喉の渇きの叙述から始まり、「月を眺めていると」という「月」への視線に転換していく。「ほんとは」とあるが、何に対して「ぼんとは」と切り返しているのか分からない。「月」が現れるのも唐突だ。『スクラップヘブン』には「月」の場面は一度もないはずだ。映画の物語とは関係なく「月」は登場する。第1連からのつながりからすると、「摩天楼」との対比として視界に現れるのだろう。聴き手は自分自身のスクリーンに、「摩天楼」と「月」を映し出すことになる。

 第3連には「この素晴らしき世界」が登場する。そしてそこに降り注ぐ「雨」が止む。「雨」上がりの世界に何か新しい風景が現れるというのは志村の好んだ展開だが、ここでは「新たな息吹上げるものたち」が顔を出す。「息吹」は何かの兆しのようだ。

 第4連の「おぼろげに見える彼方まで」は「この素晴らしき世界」の彼方のことだろう。ここからその彼方まで「鮮やかな花を咲かせよう」とある。意味の流れからすると、顔を出している「新たな息吹上げるもの」が端的に「花」なのだろう。しかも「鮮やかな花」である。志村が最も愛した景物は「花」であることに間違いない。『蜃気楼』という曲も『スクラップヘブン』という映画も、色彩的にはモノクロームの世界だ。その世界に「鮮やかな花」が現れることに聴き手はある種の感動を覚えるかもしれない。、

 第5連の「蜃気楼… 蜃気楼…」は、第2・3・4連の展開の帰結として、それらの景物や風景の最終的なイメージを描くものとして登場する。すべては「おぼろげに見える」ようであり、その像や残像の重なり方が「蜃気楼」という比喩で語られている。

 「月」「雨」「花」という自然の景物がゆるやかに連関しあっている。歌の主体は、「この素晴らしき世界」の「おぼろげに見える彼方まで」視線を移動していく。その風景の彼方に「鮮やかな花を咲かせよう」という主体の意志あるいは祈りのようなものが重ねられる。

  映画『スクラップヘブン』には、激しい「雨」が降るシーンはあるが、「月」や「花」が登場するシーンはない。およそ美しい風景や景物とは無縁の世界が描かれている。この第2・3・4連の展開は、映画のストーリーは直接の関係がないと考えるのが妥当だろう。(第5連の「蜃気楼」は映画とも重なり合うが)
 CD版のみにある第2連から4連までの歌詞は、映画から(監督の意図や脚本)というよりも、それに触発されてはいるが、志村正彦自身のモチーフから創られたのではないだろうか。

 (この項続く)

2017年8月30日水曜日

最後の完成作『ルーティーン』―ストックホルム5[志村正彦LN162]

 8月9日に帰国してから三週間が経つ。五回に分けてストックホルムへの旅を記してきた。記憶が紛れていかないうちにたどりたかった。

 前回、ストックホルムを「水の都」「島の都」と形容した。俯瞰的な視点でとらえるとそうなるが、普通に街の中にいると「島」にいるという感じはほとんどない。島と島とを架橋する橋も街路がそのまま延長しているように進んでいける。


 8月6日、二日目の朝は、ホテルのあるスルッセンからガムラスタンを経てストックホルムの中心部にあるセルゲル広場へ歩いていった。通りの名でいうと、「Katarinavagen」「Vasterlanggatan」「Riksgatan」を経て「Drottninggatan」に入っていく。「Vasterlanggatan」は旧市街ガムラスタンで最も人通りの多い通りであり、「Drottninggatan」はストックホルムの中心地の歴史ある通りで、この終点近くにストリンドベリ記念館はある。前日、この二つの有名な通りがつながっていると聞いた。地図を見ると確かにつながっている。時間の許す限り、この街路を歩いていくことにした。

 日曜日の朝だった。「Vasterlanggatan」ヴエステル・ローング通りにはほとんど人がいない。静けさに包まれている。商店もまだ開いていなかったが、ウインド・ディスプレーにはいろいろな土産物が飾られていた。お土産の目星をつけながら歩くのは楽しい。昼間この近くのレストランに戻る予定なのでその時に買うことにした。この界隈には十三世紀につくられた路地もある。



 国会議事堂を越えて中心部に入る。しばらくするとセルゲル広場についた。ここは『CHRONICLE』付属DVDの映像にも映されている。フジファブリックの四人のメンバーの人気投票「北欧選手権」をした場所の一つだ。
 このあたりで前方を見ると、かなり向こう側に屋上が青く光る建物が見えた。ストリンドベリの旧居・記念館だった。十分ほど歩けばそこまでたどりつけるだろうが、そろそろホテルに戻らねばならない時間だった。ここでひきかえした。

 ストックホルムは、伝統を感じさせる路地や新しい整然とした街路が混然と溶け合っている。戦禍に合わなかったことやビルの高さ制限を設けてきた都市計画がこのような街並をつくりあげたのだろう。

 志村正彦は、『CHRONICLE』DVDの映像で次のように語っている。

日本にはない大地っていうか、道とか、店とか、建物、空気、そういうものを多分なんか感じたんでしょうね。まさにこう映画で見たような風景がそのままあるんで。すごい不思議な国に来たような感じですね。やはり来た意味ありますね。日本のがスタジオの設備とか人の録音のテクニックとかぜんぜんあるんですけど。そういうものを取っ払ってもなにか大きく感じるものがこの街とか人にはあるんじゃないですかね。

 僕たち日本人にとっては確かに、ヨーロッパの街は「映画で見たような風景」であろう。映画の中に迷い込むような不思議さがあり、新しい感覚が刺激される。志村も何かをつかみとり、『Stockholm』という曲がこの地で誕生した。

 二日目は、ツアーのバスでノーベル賞の晩餐会が開かれる市庁舎、ヴァーサ号博物館、セーデルマルム島の丘などを巡り、観光船でユールゴーデン島を周遊した。
 夕方、タリンクシリヤラインのクルーズ船の乗場についた。夜7時半ストックホルムを出発、翌朝7時にフィンランドのトゥルクに着く。世界で最も美しいといわれるストックホルムの群島の間をぬうように進む航路だ。クルーズ船に乗るのは初めてだ。揺れもほとんどなく、部屋の丸い窓から群島を眺めた。2万4千もの島があるそうだが、陸のように見える大きな島、島と言えるのか戸惑うほどの小さな島、予想をはるかに超える数の島々が続いていた。

 フジファブリックのストックホルムでの録音というとふつうは『CHRONICLE』が思い浮かぶだろうが、僕にとっては『ルーティーン』という曲がまず第一に挙げられる。この曲は11枚目のシングル『Sugar!!』のカップリングとして2009年4月8日にリリースされた。
 志村正彦・フジファブリックの曲を一曲だけ選ぶとするならかなり迷ってしまう。『陽炎』『セレナーデ』『若者のすべて』『赤黄色の金木犀』、いろいろと浮かんできてとても絞り切れない。ある観点からするとこの作品になる、そんな選び方しかないが、そのような個別の観点を超えて一つだけ選択しなけれなばならないとするなら、今は『ルーティーン』を選ぶだろう。それほどこの歌は僕にとって唯一無二の存在だ。

 この曲は志村正彦が生前に録音して自ら完成させた音源としては最後の作品であろう。5thアルバム『MUSIC』収録曲は志村本人によって完成させたものではない。もちろん貴重な音源であることは間違いなく、制作したメンバー・スタッフの苦労には敬意を表したいが。
 『CHRONICLE』DVDの映像で、志村が「最後にちょっとセンチメンタルな曲を一発録りでもう、多分歌も一緒にやるか、まあでもマイクの都合でできないかな、もうみんなで一斉にやって「終了」って感じにしたくて。」と述べた上で録音したのがこの作品だ。「 Recording『ルーティーン』2009/2/6」というテロップがある。DVDには、その際の「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記::ルーティーン (レコーディングセッション at Monogram Recordings)」というフル映像もある。志村と山内総一郎のアコースティックギター、金澤ダイスケのアコーディオンによる演奏時の映像に志村のボーカル収録時の映像をミックスしたものだ。事実として、ストックホルムで最後に録音された『ルーティーン』が完成作としての最後の作品だと考えられる。そのような経緯もあり、この歌はかけがえのないものとなった。ストックホルムを訪れるのをここ数年ずっと願ってきた。

 船はゆっくりと進む。ゆっくりと日も暮れていく。群島の影が濃くなる。満月に近い月が水平線より少し上に出てきた。雲間に映えるおぼろげな月。バルト海に反射した月の光がどこまでも船を追いかけていく。波間にかすかにゆれる月光がたとえようもなく美しい。映画のラストシーンのような風景。出来過ぎの感じもしたが、素直にこの風景との遭遇を感謝した。志村の歌には月がしばしば現れる。そんなことも思いだしていた。




 ヘッドフォンを外してスマートフォンのスピーカーから『ルーティーン』を再生した。少しだけボリュームを上げて室内に響かせた。街でも何度か聴いたのだが、ストックホルム、スウェーデンにさよならをする時、もう一度聴きたかった。
 感傷的なことはあまりしたくないのだが、ここでは少し(大いにというべきだろうか)感傷に浸りたかった。

 志村はDVDの最後近くでこう述べている。

ほんとうにちょくちょく出てきたイタリアとか、フランスとか、そういう街に行ってその土地の音楽とかどんどん吸収したいっていう、そういう貪欲なものが芽生え始めてますね。だから癖になりそうですね、こういう旅が。

 彼はフジファブリックの音楽を世界へ広げていく手ごたえや手がかりを掴みつつあったはずだ。世界の様々な街への旅を続けることができたら、どんなに素晴らしい作品を創り出していただろうか。もともと彼の音楽は、彼の言葉は、「日本」という狭い枠組を超えたある種の普遍性を志向していた。

 『ルーティーン』が聴こえてくる。
 「明日も 明後日も 明々後日も ずっとね」という声。繰り返される日々の「ルーティーン」。日々の「生活」への祈り。それと共に持続していく「音楽」への志を伝えたかった。自らに言い聞かせたかった。この歌詞の中の「君」は音楽そのものかもしれない。そんな風に聴こえてくる。


  日が沈み 朝が来て
  毎日が過ぎてゆく

  それはあっという間に
  一日がまた終わるよ

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  さみしいよ そんな事
  誰にでも 言えないよ

  見えない何かに
  押しつぶされそうになる

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  日が沈み 朝が来て
  昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね
   
      ( 『ルーティーン』 詞・曲:志村正彦 )

2017年8月26日土曜日

水の都、島の都―ストックホルム4[志村正彦LN161]

 わずか一泊二日間だがストックホルムに滞在できる。志村正彦・フジファブリックのファンであれば、彼らの足跡を訪ねてみたいと思うだろう。

 フジファブリックの4thアルバム『CHRONICLE』を収録したスタジオはMonogram Recordings(モノグラムレコーディング)のものだが、webを見てみると、現在は制作会社としては活動していないようだ。スタジオやその機材も売却してしまったようだ。スタジオ以外ではフジファブリックのメンバー・スタッフの滞在したホテルくらいしか足跡をたどれる場所はない。どこにあるのだろうか。手がかりを探してみた。

 『CHRONICLE』にはDVDが付いていて、『ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記』と題する二つのドキュメンタリーが収録されている。「25日間に渡る初の海外レコーディングドキュメント」の中に、滞在していたホテル入口の看板が映るシーンがある。その名を手がかりにグーグルマップで検索すると、ここではないかというホテルが見つかった。

 ストリンドベリ記念館を訪れた後にそのホテルを訪ねていったのだが、記憶の中にあるドキュメンタリー映像の風景とどこか違う。それでも一応ホテルや界隈の写真を撮ってきた。その時の様子をこのブログに書いているときに、再度、撮影した写真とドキュメンタリーの映像を比べてみた。やはり違う。もう一度該当ホテルの名をネットで検索すると、今は閉鎖されてしまったあるホテルの存在に気づいた。映像とグーグルマップのストリートビューの写真を確認すると、このホテルが彼らが滞在していたところらしい。すでに閉鎖されていて、別の名のホテルになっているようだ。そのために検索の上位に出てこなかった。もう一つの似た名前のホテルの方だと思い込んでしまったのだ。自分のうかつさにへこんだ。

 しまったいう落胆の後、もう一度マップを見た。周辺のエリアを拡大してみた。すると、500メートルほど先に僕たちが宿泊していたホテルがあった。偶然だった。わざわざ出かけなくても、ホテル近くの大通りを南西の方へ歩いていけばよかったのだった。十分もかからなっただろう。帰国してからこのことに気づいた。何たることか。でも、近くに泊まっていた偶然に感謝すべきかもしれないと思い直した。この界隈の雰囲気を知ることはできたのだからと。

 このエリアはガムラ・スタンの南に広がるセーデルマルム島(Södermalm)の中心地域にある。僕たちのホテルはこの地域の入口にあたるスルッセンにあった。ドロットニングホルム宮殿からホテルへ向かう途中、バスは大通りを進んでいった。あの日は「Stockholm Pride」というLGBTのパレードがあり、レインボーフラッグを持つ人々がたくさん歩いていた。この大通りをビデオで撮っていたことを思い出した。再生すると一瞬ではあるが、フジファブリックが宿泊していたホテルも映っていた。翌日もセーデルマルム島で有名な展望スポットのある丘への行き帰りにこの界隈を通っていた。

 このセーデルマルム島の地域はアート・ギャラリーや洒落たショップやカフェが並び、近年人気が出てきたエリアのようだ。ガムラスタンやストックホルム中心街の眺めが素晴らしい丘も有名だ。その丘からは、観光船が行き交い、連絡船やクルーズ船が停泊する「水の都」としての景色も堪能できる。ドキュメンタリー映像を見返すとスルッセンにある展望台から撮影した風景をはじめこの地域で撮影された映像がいくつもあった。
 もっとも、志村正彦はあるインタビューで「ホテルとスタジオの行き来以外ではあんまり出歩いてないんです」と述べているので、彼があまりストックホルムを歩いていないことは確かなのだが。

 今回の記事の最後に、ストックホルムで撮影した写真の中からセーデルマルム島に関わりのあるをアルバム風に添付してみたい。


 一日目の夜十時近くにスルッセンにあるホテル近くからガムラスタンを眺めたもの。白夜ではあるが、そろそろ日が暮れていく時間だった。スルッセンはセーデルマルム島の入り口にある。




  二日目の昼、グランドホテル近くの観光船乗り場に行った。一週間続く「Stockholm Pride」イベントのレインボーフラッグが公共施設やホテルをはじめ商店やレストラン、街路や路地の至る所にあった。僕らが載った観光船にも飾られていた。街全体が「自由」と「尊厳」の一週間を祝福していた。




 僕たちが乗った観光船。向こう側の景色は右側がガラムスタン、中央がセーデルマルム島。この船はユールゴーデン島(Djurgården)を1時間ほどで周遊してきた。




 船が出発してしばらくすると、向こう側にセーデルマルム島がよく見えた。「VIKING LINE」のクルーズ船が停泊していた。中央やや右に見える高い塔はカタリーナ教会の塔。この島の中央部は小高い丘になっている。



 航海中の「VIKING LINE」の 「Cinderella」(シンデレラ)号。 ストックホルムからエストニアのタリン、フィンランド領の小さな島マリエハムン間などのバルト海を運航するそうだ。



 観光船が到着する直前に見えた橋。ストックホルムの中心だけでも十四の島があり、たくさんの橋が掛けられている。



 ストックホルムは「水の都」、北欧のベネチアと言われているそうだが、むしろ「島の都」と呼んだ方がいいかもしれない。
 「島」にはそれぞれの歴史や個性があり、それが集まってストックホルムという大都市を形成している。

 志村正彦は、『CHRONICLE』に関するインタビュー(文:久保田泰平)で次のように述べていた。

 日本で録音するのも効率的でいいんですけど、海外のほうがより音楽に集中できるし、ストックホルムっていう街は治安もよくてリラックスできたし、向こうの空気を吸って、向こうの人たちと出会って、音楽を聴いて、それに触発されて「ストックホルム」っていう曲が出来上がったりとか、そういう化学反応みたいなのも起きたから、海外でやってよかったですね。

 滞在していたのは2009年1月から2月にかけての真冬の季節だった。夏とは全く異なる風景の感触や色合いだっただろう。


  静かな街角
  辺りは真っ白

  雪が積もる 街で今日も
  君の事を想う
             (『Stockholm』詞曲:志村正彦)

 このように歌われる『Stockholm』を聴くと、彼にとってこの街は「雪の街」「氷の街」であったようだ。『CHRONICLE』付属DVDの映像にも、雪でおおわれた街路やスルッセン西側のメーラレン湖の結氷が映されている。
 短い夏と厳しい冬の街、夏の湖の水と冬の雪景色ということになると、わずかかもしれないが、ストックホルムの季節の感覚は志村の故郷富士吉田を想起させる。