2017年12月10日日曜日

「すごい才能の塊でしたよ」奥田民生 [志村正彦LN169]

 昨夜12月9日の23:00-24:00、スカパー!のチャンネル「フジテレビNEXT」で「TOKYO SESSION 第七夜」という音楽番組が放送された。
 出演は、奥田民生、斉藤和義、山内総一郎の三人。Vocal, Guitar, Bass, Drumsと曲ごとにパートを変えながらセッションし、セレクトカヴァー&セルフカヴァーを演奏した。舞台は「Bar Monsieur」というライブバー。オーナーはムッシュかまやつ、旅に出ているという設定だった。店長のKenKen、バーテンダーのシシド・カフカが進行役だ。
 この回のセットリストを載せよう。


「はいからはくち」 はっぴいえんど
「スローなブギにしてくれ(I want you)」 南佳孝
「「3」はキライ!」 カリキュラマシーン
「若者のすべて」 フジファブリック
「ずっと好きだった」 斉藤和義
「イージュー★ライダー」 奥田民生
「やつらの足音のバラード」 かまやつひろし


 はっぴいえんど「はいからはくち」は、Vocal・Guitar山内、Bass斉藤、Drums奥田という編成。日本語ロックの名曲というか問題作をこの三人が演奏するのは興味深かった。山内総一郎は数曲でBassを弾いたが、その慣れない姿を含めて珍しいものだった。

 注目の「若者のすべて」は、Vocal・Guitar山内、Bass奥田、Drums斉藤で演奏された。奥田民生はバックコーラスも担当し、「若者のすべて」カバーの歴史の中でも特筆すべき映像となった。その一部が「第七夜SPOT」として公式webにある。




 演奏前に、奥田民生が志村正彦について語った言葉を書き写したい。


いやーやっぱりなんか、とにかくその、個性っていうんですかまあ代わりのいない感じというか。強烈に持っていましたから。曲にしても、声にしても。すごい才能の塊でしたよ。うん


 志村正彦が亡くなった後、奥田が志村について述べた言葉はほとんどないのではないだろうか。特に放送メディアでは。その意味で非常に貴重なものとなった。発言時、奥田が遣る瀬無いような表情をしていたことも記しておきたい。12/16(土) 18:40~19:40に再放送予定だから、視聴可能な方はご覧になることをすすめたい。

 特に、奥田が「声」に言及していることが個人的にはとても納得した。志村の「声」はまさしく代わりのない特別なものだから。そして何よりも、「すごい才能の塊でしたよ」という言葉が、奥田民生の志村正彦に対する想いのすべてを語っている。


2017年11月26日日曜日

矢野顕子『Bye Bye』 [志村正彦LN168]

 一昨日、11月24日の夜、矢野顕子がNHK BSプレミアムの『The Covers』で志村正彦作詞作曲の『Bye Bye』を歌った。この曲はもともと志村正彦がPUFFYに提供し(アルバム『Bring it!』2009/6/17)、フジファブリックがセルフカバーしたものだ(アルバム『MUSIC』2010/7/28)。矢野は『Soft Landing』という 7年ぶりのピアノ弾き語りアルバム(11/29発売予定)の1曲目に『Bye Bye』を収録したようだ。

 矢野顕子という存在は、スペシャルゲストの糸井重里、そしてあのYMOと共に、70年代後半から80年代にかけての若者文化や音楽の象徴の一人だった。僕らも同じ時代を呼吸してきた世代だ。だから事前にこの情報を知ったときに、あの矢野顕子が志村正彦をどうカバーするのか、嬉しいことではあるのだがどんな歌になるだろうという想いもまたよぎっていた。

 『MUSIC』は志村正彦の没後に、メンバー・スタッフが残された音源を基に完成させた作品である。その過程の悲しさとつらさを思うと何も言えないのだが、それでもあくまで参考作品であるとは思う。ただし、この『Bye Bye』は詞曲共に作品としては生前の完成作である。『MUSIC』の中でも位置づけが異なるだろう。それでも、この曲も他の曲も『MUSIC』を聴き通すのはある苦しさがある。他のアルバムとは異なる緊張感のようなものがある。

 番組に戻ろう。『Bye Bye』は最後に歌われた。見ることのできなかった方のために、画面やナレーション、司会のリリー・フランキーと矢野顕子の会話を書きだしてみよう。

《画面》 
 *テロップ                      Cover Song#2
              フジファブリック「Bye Bye」(2010)
                                          詞・曲:志村正彦
 *背景 『Music』のCDジャケット写真
 *音楽 「それじゃバイバイ またバイバイ/繰り返しても帰れない 離したくても離せない手だ/君が居なくても こちらは元気でいられるよ/言い聞かせていても」まで、志村正彦の歌声が入る。
 *ナレーション 今夜最後の曲はフジファブリックの『Bye Bye』。作詞作曲はメンバーの志村正彦。2010年発表のアルバム『MUSIC』に収録。せつない恋心を描いた一曲です。

(リリー)矢野さんがこの『Bye Bye』を聴いたときに、そのどういうところがこの曲の魅力?
(矢野)あの…やっぱりやっぱり詞かなあ。詞から入っていくので。で、その、メロディもキャッチーだし…あ、いいなと思って。で、次にすることは歌詞カードを見て。そして、自分だったらこれはこういう考え方はしないかなとか…そういう自分の口からこういう言葉は絶対出さないなあみたいなことが入っていたらもうその曲はサヨナラっていうか…でも『Bye Bye』はいける…と思ったので。


 ナレーションではPUFFYに対する言及が一切なかったが、本当は一言入れるべきだろう。音源としてはオリジナルリリースなのだから。
 矢野の発言が興味深い。やはり『Bye Bye』の魅力が「詞」にあると述べている。キャッチーなメロディにも惹かれようだ。「でも『Bye Bye』はいける」の「いける」に、カバーの才人矢野らしい確信のニュアンスが込められていた。

 フジファブリック『Bye Bye』音源の志村の歌は完成段階のものではないと思われる。ラフな感じがして、そのことが逆に、日常の中の想いがそのまま漂ってくるような感触がある。歌詞にある「もう離してしまった」者の透明な寂しさや悲しさが伝わってくる。

 矢野の方は、志村の透明な想いに矢野らしい感情と感覚の色合いを加え、より凝縮された想いを聴き手に届けようとしていた。カバー曲というよりも矢野自身の『Bye Bye』に昇華されて、非常に力のある、すばらしい歌とピアノ演奏だった。そして、矢野のこの曲への想いと共にこの曲の作者への想いも重ね合わされていたように感じた。これは勝手な僕の想いにすぎないが。
 言葉で綴るとそうなるのだが、それよりもここに記すことはただ一つのことだ。涙が静かに静かに落ちてきた。

2017年10月29日日曜日

芥川龍之介『蜃気楼』-『蜃気楼』7[志村正彦LN167]

 『スクラップ・ヘブン』パンフレット(オフィス・シロウズ、2005/10/8)に、「DIALOGUE  李相日×志村正彦(フジファブリック)」という対談が掲載されている。志村正彦は、「蜃気楼」というタイトルの由来は?、という問いに対してこう述べている。   

 絶望だけで終わりたくない、かといって希望が満ちあふれた感じでもないなと思って、その迷っている感じですかね。実際に蜃気楼というものを見たことはないんですけど(笑)、その揺れている感じが合うかなと。

 志村は、「絶望」と「希望」という相反するものが揺れている「感じ」を重んじたようだ。「絶望」と「希望」のあわいにあるもの、「絶望」が「希望」にあるいは「希望」が「絶望」に反転していくような世界、そのようなイメージを「蜃気楼」に託そうとした。「絶望」と「希望」のあわいに「実像」と「虚像」が入り乱れるような光景を心に描いた。それが「蜃気楼」というイメージにつながったのだろうか、それでもなぜこの言葉を使ったのだろうか。

 文学作品の中で「蜃気楼」という言葉で思い浮かぶのは、芥川龍之介の短編『蜃気楼』(正確には『蜃気楼―或は「続海のほとり」―』)だろう。この作品は、1927年3月、芥川の死の半年ほど前に発表された。晩年を代表する小品で、評価が高い。
 志村はかなりの読書家だったことで知られている。彼がこの小説を読んだ可能性は大いにあると思われる。仮に読んでいなかったとしても、「蜃気楼」という作品の存在、その題名は知っていたはずだ。彼の記憶のどこかにこの言葉があっただろう。

 芥川龍之介の『蜃気楼』は次のように始まる。

 或秋の午頃、僕は東京から遊びに来た大学生のK君と一しょに蜃気楼を見に出かけて行った。鵠沼の海岸に蜃気楼の見えることは誰でももう知っているであろう。現に僕の家の女中などは逆まに舟の映ったのを見、「この間の新聞に出ていた写真とそっくりですよ。」などと感心していた。
 僕等は東家の横を曲り、次手にO君も誘うことにした。不相変赤シャツを着たO君は午飯の支度でもしていたのか、垣越しに見える井戸端にせっせとポンプを動かしていた。僕は秦皮樹のステッキを挙げ、O君にちょっと合図をした。
「そっちから上って下さい。――やあ、君も来ていたのか?」
 O君は僕がK君と一しょに遊びに来たものと思ったらしかった。
「僕等は蜃気楼を見に出て来たんだよ。君も一しょに行かないか?」
「蜃気楼か? ――」
 O君は急に笑い出した。
「どうもこの頃は蜃気楼ばやりだな。」

 「僕」は作者の芥川自身、「大学生のK君」が誰かは分からないが、「O君」は芥川の親友小穴隆一を指すものと思われる。虚構作品ではあるが、現実の出来事を素材にしていることは間違いない。「女中」の発言にある「この間の新聞」も実際に存在していたことを調査した研究もある。当時、舞台の鵠沼海岸に多くの見物客が訪れたようである。

 この後、この三人は海岸の方に歩いていく。特に事件が起きるわけでもなく、歩行中の会話や心象風景が次々と綴られていく。芥川が晩年唱えた、「話」らしい話のない小説の一種とも言われている。物語らしい物語がないとしても、何らかの表現のモチーフがあるだろう。それは何か。
 不気味なものに遭遇する。そのように「錯覚」する。作者芥川の分身である「僕」の不安が、中心的なモチーフとなっていると言えるかもしれない。「錯覚」という言葉が何度か繰り返される。

「好いよ。………おや、鈴の音がするね。」
 僕はちょっと耳を澄ました。それはこの頃の僕に多い錯覚かと思った為だった。が、実際鈴の音はどこかにしているのに違いなかった。僕はもう一度O君にも聞えるかどうか尋ねようとした。すると二三歩遅れていた妻は笑い声に僕等へ話しかけた。
「あたしの木履の鈴が鳴るでしょう。――」
 しかし妻は振り返らずとも、草履をはいているのに違いなかった。
「あたしは今夜は子供になって木履をはいて歩いているんです。」
「奥さんの袂の中で鳴っているんだから、――ああ、Yちゃんのおもちゃだよ。鈴のついたセルロイドのおもちゃだよ。」
 O君もこう言って笑い出した。そのうちに妻は僕等に追いつき、三人一列になって歩いて行った。僕等は妻の常談を機会に前よりも元気に話し出した。

  引用文の「妻」は芥川夫人の「芥川文(ふみ)」であろう。この場面では芥川、妻の文、小穴の三人が海辺を歩いている。「僕」は「鈴の音」が聞えるような気がする。「この頃の僕に多い錯覚」かと思うが「実際」にどこかで音がしているようにも思える。錯覚だろうか現実だろうか、そのように心が揺れること自体が「僕」は気がかりだ。その「僕」の不安を敏感に察した「妻」は「笑い声」で先を制すように「木履」を、「O君」も「鈴のついたセルロイドのおもちゃ」を原因として挙げる。「妻」も「O君」も笑いによって「僕」の不安を鎮めようとしている。その二人の想いが少しは通じたのか、「僕等」は「常談」として受けとめ、「前よりも元気に」話しだす。

 この場面はおそらく、芥川、妻の文、小穴隆一との間で現実にあった出来事であろう。妻の芥川に対する気遣い、小穴の友情が伝わってくる。暗い心象風景を描いたと言われる『蜃気楼』だが、この二人の言葉や心情がほのかな光を灯しているようにも読みとれる。

  (この項続く)

2017年10月22日日曜日

「この素晴らしき世界に僕は踊らされている」-『蜃気楼』6[志村正彦LN166] 

 一月ぶりに志村正彦・フジファブリックの『蜃気楼』に戻りたい。
 『スクラップ・ヘブン』のエンディング・バージョン(映画の時間の「1:53:22」から「1:56:32」まで3分10秒ほど流れる)の歌詞をあらためて引用する。オリジナル音源の全8連から第2,3,4,5連を削除した残りの第1,6,7,8連で構成されている。


1  三叉路でウララ 右往左往
   果てなく続く摩天楼

6  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
   消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

7  おぼろげに見える彼方まで
   鮮やかな花を咲かせよう

8  蜃気楼… 蜃気楼…


 オリジナル音源の第2,3,4,5連は、「月を眺めている」「降り注ぐ雨」「新たな息吹上げるもの」という自然の風景や景物を描いた上で、「この素晴らしき世界」の「おぼろげに見える彼方」に「鮮やかな花」を出現させて、作者志村正彦が映画から感じとった「希望」を象徴的を表現しているが、映画版ではそのような系列が削除されてしまった。 その代わりに、第6連にある「世界」というモチーフが前景に現れている。このモチーフは、『スクラップ・ヘブン』の物語の中心を成す「世界を一瞬で消す」から発想されたものだろう。「世界」の消滅への欲望をめぐって、シンゴ、テツ、サキの三人が絡まり合う。特にラストシーンのシンゴにとって、「世界」は「消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる」という実感を伴って迫ってくるものだったろう。

 ただし、『プラスアクト』2005年vol.06(株式会社ワニブックス)で、志村が「霞がかかった何もない所で、映画の主人公なのか僕なのかわからないですけれどウロウロしてる時に、色んな人が来たり、色んな風景が通り過ぎて”どうしよう”という感じ」と述べているように、この「世界」に対する捉え方は作者の志村自身の経験も反映されているのではないだろうか。
 志村正彦の歌詞の中で「世界」が登場する作品を挙げてみる。


  どこかに行くなら カメラを持って まだ見ぬ世界の片隅へ飛び込め!
    『Sunny Morning』

  Oh 世界の景色はバラ色 この真っ赤な花束あげよう
    『唇のソレ』

  小さな船でも大いに結構! めくるめく世界で必死になって踊ろう
     『地平線を越えて』

  遠く彼方へ 鳴らしてみたい 響け!世界が揺れる! 
     『虹』

  世界の約束を知って それなりになって また戻って
    『若者のすべて』

  世界は僕を待ってる 「WE WILL ROCK YOU」もきっとね 歌える
    『ロマネ』

  これから待ってる世界 僕の胸は踊らされる
    『夜明けのBEAT』

  煌めく世界は僕らを 待っているから行くんだ  
    『Hello』

  羽ばたいて見える世界を 思い描いているよ 幾重にも 幾重にも
    『蒼い鳥』


 いくつかの重なり合うモチーフがあるが、『蜃気楼』の「この素晴らしき世界に僕は踊らされている」と関連が強いのは、『地平線を越えて』の「めくるめく世界で必死になって踊ろう」であろう。「蜃気楼」と「地平線」という舞台の類似性もある。世界で踊る、世界に踊らされているという「踊る」という身体の運動は、志村正彦の「世界」に対するイメージの結び方を表している。「踊る」は自動詞だが、「踊らされる」は「踊らす」という他動詞の受動形である。何ものかに操られてその思いどおりにさせられる、という意味がある。歌詞を文字通りに受け止めれば、その何ものかは「この素晴らしき世界」になる。幾分かアイロニカルなニュアンスで「素晴らしき」という形容がされているのか、そのままの素直な意味合いなのかは分からない。「世界」に対する視線が肯定的なのか否定的なのかも判然としない。だが、いずれにせよ、「消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる」の「踊り」には、「世界」の中で存在するしかない私たちの動き、そのあり方が象徴されている。

2017年10月7日土曜日

一人ひとりに伝える-宮沢和史氏の講演会2

 宮沢和史氏の講演会について追記したいことがある。

 講演終了後、生徒からの声を募った。
 沖縄でなく山梨のことを歌ったものがあるかという質問があった。宮沢さんはいくつもあるとした上で特に『星のラブレター』『中央線』の二曲の名を挙げた。軽音楽同好会の部長は、私も音楽を作るのですけど音楽を人に伝えるためにどのようにしていますかと尋ねた。宮沢さんは、観客が数千人の時も五十人位の時もあるが、どんな時でも一人ひとりに向けて歌を伝えていくように心がけていると語った。
 聴き手の一人ひとりに伝える。あの日の体育館には九百人ほどの生徒、保護者、教師がいたのだが、あの『島唄』はまさしくその一人ひとりに届けられた。そのような感触が確かにあった。

 最後に生徒会代表の生徒が御礼のあいさつをした。
 生徒は静かに話し出した。私には沖縄の血が流れている。祖父は沖縄で生まれて小さい頃に沖縄戦を経験し、本土に移住してきた。祖父からは沖縄の話をたくさん聞いてきた。私が今ここで生きている。その命のことを宮澤さんの講演からあらためて考えた。そのような話だった。
 この事実は講演会を企画した私たちも全く知らなかった。偶然だった。
 沖縄にルーツがある生徒と『島唄』の歌い手。かけがえのない講演会となった。

2017年9月30日土曜日

宮沢和史氏の講演会

 昨日、宮沢和史氏の講演会が勤め先の高校で開催された。(僕は主催者側の担当として企画と運営に携わった。教師は教科以外に様々な係の仕事を担っている。僕は「キャリア教育」という係に所属しているのだが、専門家の講演、大学との連携講座、事業所との連携事業やインターンシップなどが主な仕事だ。総合学科なのでその数や種類も多い。)
 今回は、宮沢さんの高校時代の同級生が二人この学校で教師をしていたり、宮沢さんが推進委員の代表となっている「未来の荒川をつくる会」(この荒川の近くに校舎がある。宮沢さんの実家も近くにあり、釣り好きの彼の歌の中にはこの荒川上流が舞台となっているものがある)の清掃活動に生徒が参加したりしている縁があったので、宮沢さんにはこの依頼をこころよく引き受けていただいた。

 題名は「山梨から沖縄、そして世界へ」。
 全校生徒と教職員そして聴講希望の保護者合わせて900人が体育館に集まった。雨上がりの暑い日で蒸し暑かった。映像投影のために黒いカーテンが閉められていた。九月の終わりなのに晩夏の季節のようだった。

 沖縄戦の話から始まった。生徒が想像しやすいように、甲府盆地を舞台にした喩えが使われ丁寧に説明されていく。沖縄戦の現実。沖縄でまだほんとうの意味では戦争が終わっていないこと。彼の落ち着いた低い声が場内に響いた。

 話の焦点は次第にザ・ブーム『島唄』にあてられていく。CD音源がかけられ、当時の写真がスクリーンに投影され、歌詞の「ダブルミーニング」が本人によって解き明かされていく。こういう機会はほとんどない。この歌を作った理由、この歌が沖縄の人々に反発されながらも次第に受け入れられていった経緯。歌詞が「二重構造」を持つとともに、音階の点でも沖縄音階と西洋音階の「二重構造」を持つこと。彼自身によってこの歌の歴史が語られ、彼自身の言葉で分析されていった。歌詞と音階の「二重構造」という表現が印象的だった。

 あくまで講演会であり音楽会ではないので、こちら側から歌を求めることはしなかったのだが、講演の最後に宮沢さんは三線を取り出し壇上から生徒のいるアリーナに降りていった。でもマイクスタンドは用意していない。PAも体育館の設備しかない。どうすればよいのだろうと一瞬困惑したのだが、彼はマイクを使わずに三線を抱えて弾きながら、そのまま歌い出したのだ。驚きと感激。こういう展開は予想していなかった。

 宮沢さんの声は中低域が厚く、独特の味わいがある。彼の声が体育館の大きな空間に広がっていく。確かな声量に圧倒される。


  島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ

  島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を 


 歌い方や身体のリズムの取り方そして眼差しも、どこか遠い彼方に「声」を届けるように集中している。息は命であり、息がそのまま声となり言葉となっていく。講演も良かったのだが、やはり彼は歌い手だ。歌が彼の伝えようとしたことのすべてを伝えていた。ザ・ブームのライブで『島唄』は何度も聴いたことがあるが、昨日はこの歌の「真実」を経験したような気持ちになった。

 講演の前後に1時間半ほど、宮沢さんを囲んで色々な話を聞くことができた。久しぶりの同級生との再会ということで高校時代の思い出話もたくさんあった。僕はもちろん初対面だったので聞き役に回っていたのだが、少しだけ質問したいことがあった。その返答をここに書くのは控えるが、彼の考えをわずかではあるが知ることができた。この場を借りてあらためて感謝を申し上げたい。

 昨日、宮沢和史がひとりで自分の声だけで900人の聴衆のひとりひとりに届けようとした、そして確実に届いた『島唄』は、歌うという行為の根源的な力を表していた。そのことを繰り返し強調しておきたい。                               

2017年9月17日日曜日

「鮮やかな花を咲かせよう」-『蜃気楼』5[志村正彦LN165] 

 フジファブリック『蜃気楼』の次の第4連に、「鮮やかな花」がなぜ出現したのだろうか。


  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう


 前回述べたように、映画に内在するものというよりも映画から触発された作者志村正彦のモチーフから来たものだと考えられる。この「鮮やかな花」に込められた思いとはどのようなものだろうか。
 
 志村正彦は「花」というモチーフを繰り返し歌ってきた。『蜃気楼』以外で「花」という言葉が登場する作品を幾つか引用してみる。「桜」や「金木犀」のような具体的な花の名や「花束」というような語彙のある歌詞は除くことにする。


  そのうち消えてしまった そのあの娘は
  野に咲く花の様
    『花屋の娘』

  どうしたものか 部屋の窓ごしに
  つぼみ開こうか迷う花 見ていた

  花のように儚くて色褪せてゆく
  君を初めて見た日のことも
    『花』

  だいだい色 そしてピンク 咲いている花が
  まぶしいと感じるなんて しょうがないのかい?
    『ペダル』

  帰り道に見つけた 路地裏で咲いていた
  花の名前はなんていうんだろうな
    『ないものねだり』


 「野に咲く花の様」「花のように儚くて色褪せてゆく」という比喩の対象として使われたり、部屋の窓ごしに見る花、路面の脇や路地裏に咲く花など、見つめるあるいは見かける対象として表現されたりしている。歌の主体そして作者志村正彦の「花」に対する眼差しには、思いがけないもの、かけがえのないものと遭遇したような感触がある。

 それに対して、『蜃気楼』の「鮮やかな花」は今ここで見ているものではなく、これから見ようとしている花である。「おぼろげに見える彼方まで」「咲かせよう」とする「鮮やかな花」はあくまで意志と想像によって描こうとしている花である。他の花の歌にはない特徴である。志村はどうしてそのような想像の花を咲かせようとしたのだろうか。

 前回紹介した『プラスアクト』2005年vol.06(ワニブックス)の志村のコメントから参考となる個所を再度引用してみる。


(映画のテーマ曲を)やりたいと思えたのは、実際に映画を観てからですね。希望もあるんだけど、でも迷って、思いもよらない方向に物事が転がっていく、そのもがいて進んでいく感じがバンドの活動や日々の生活していく上で自分が感じていることと、通じるものがあるなと思ったんです。

その時浮かんでいたのは、霞がかかった何もない所で、映画の主人公なのか僕なのかわからないですけれどウロウロしてる時に、色んな人が来たり、色んな風景が通り過ぎて”どうしよう”という感じ。『スクラップ・ヘブン』を観終えた時、”ちょっとどうしよう…”って感覚が自分の中にあって、でも、そう思う中にも、おぼろげだけど希望が見えている。希望とは言っても、具体的な何かじゃないから生々しくてリアルだなぁと思ってたんですよね。


 この二つに分けた引用個所のどちらも「希望」という言葉がキーワードになっている。『スクラップ・ヘブン』の物語の結末、シンゴが登場するラストシーンは、一般的には「希望」を抱けるようなものではない。しかし、志村は「おぼろげだけど希望が見えている」と受けとめた。
 
 志村が感じた「希望」について、筆者は完全に同意できるわけではない。しかし確かに、映画の主人公たちが追い求めていた「世界を一瞬で消す」欲望は成就しなかった。欲望はあっけなく横取りされたかのように消え去った。劇的な何ものも起こらなかった。破局は訪れなかった。主人公の三人はみな生き残った。「絶望」とは明らかに異なる。だから、この結末にある種の希望を感じとることは可能だ。監督の意図もおそらくこの映画を観る者が自由に考えることにある。

 志村は「おぼろげだけど希望が見えている」という自身の感性と解釈に忠実にエンディングテーマを作ろうとした。彼は「希望とは言っても、具体的な何かじゃないから生々しくてリアルだなぁと思ってたんですよね」と補うことも忘れていない。
 「希望」は具体的にこういうものだと言葉で説明することはできない。『スクラップ・ヘブン』にふさわしい「生々しくてリアル」なものとして心に浮かぶものだ。そのように考えた志村は、「月を眺めている」「降り注ぐ雨」「新たな息吹上げるもの」という自然の風景や景物を展開した上で、「この素晴らしき世界」の「おぼろげに見える彼方」に「希望」を象徴的に描こうとして「鮮やかな花」を出現させようとしたのではないだろうか。

 この「鮮やかな花」は、映画の主人公シンゴやテツ、サキにとっての希望であると同時に、それ以上に、作者志村正彦にとっての希望、おぼろげなものではあるが希望と名付けられる何かの「息吹」を上げる「花」であろう。

  (この項続く)